なぜ隠す?ライブドアVSフジの狭間
やっぱり隠したがってるんだろうな。テレビとかラジオの人は。そして知ってる人は知ってる状態になっている。ホリエモンはもうソフトバンクや楽天に、この構造に気づかれて追従されだしたと思ってるから先鞭を付ける旨味も無くなってしまったに違いない。
正直この買収戦の結果に関して何か関与したいわけではない。ただ、気になることがあるだけだ。
さて、その気になることとは「メディアを殺す」という言葉の前提になっている「メディアの死」が江川紹子のインタビューで本当に拾えていたんだろうかということだ。商売人の彼が買収する相手があんな理由でなくなるのにワザワザ買収するのが腑に落ちないからだ。むしろ、以下に述べるようなことの方が自分では合点がいく。
実は昨年の10月か11月に「日経ビジネス」で画期的な記事が出た。テレビのコマーシャルの危機の話である。内容は私のような趣味で日曜マーケッターやってるような人間ですら知ってるようなここ10年来のことを補完したに過ぎなかったが巻頭特集にする程の特集記事だった。
ラジオもテレビも広告収入が減っていて、新たな収入源を探さなくてはいけない状況なのを、今回の騒動でこの点で「メディアが死」の意味を追求している報道は週刊アスキーの「仮想報道」くらいだ。日経もネットの記事ではそれを指摘しているものがあるようだけど・・・
元々テレビは商品への到達率が低いコマーシャルが多い。しかし、強力なプッシュメディアであるテレビやラジオでは数に物を言わせて露出を多くすることで、まかなってきた。右肩上がりの社会ではそれで良かったのだろう。しかし人口が減少フェーズに入った社会ではそうはいかない。実際、圧倒的に商品到達率が多くなっているインターネットの広告が広告の出稿金額でじわじわと増えて、すでに総額で去年ラジオは抜かれた。ラジオは広告収入をこの10年で2割減らした。これは企業のコスト意識が変わってきたこととネットの双方向性による囲い込みが効果的だと言うことが、少なくとも広告の側には分かってるということなのだろう。テレビもその傾向は顕著だ。
「なんだい広告の話かい」と思われるかもしれない。テレビ討論番組は「ジャーナリズムをなんと心得るか」方向に持って行こうとしているのはミエミエだ(フジのジャーナリズムがどんだけのもんかはしらないけど。)けれどもこのミエミエに取り込まれてしまった人間は多いようだ。しかし、収入源のもっとも大きなパイを失う、いや失いつつあると言うことは、その「メディアの"ビジネスモデル"が死ぬ」というのと等しいだろう。収入が減ってくれば番組は今のレベルを維持出来なくなる。どこかにしきい値があってそれを越えたとたんにガタガタと崩れ落ちるかもしれない。それはバラエティだとか報道だとか言った垣根関係無しに被ってしまうことなのだ。
日曜マーケッターでも気づくと言ったがそれはどんなことからか。
たとえば、ここ10年の間に東芝や松下が主力を白物家電からデジタル家電へシフトさせていく中で1社看板番組をやめてきた。確かに業績が悪かったからだが、今後業績が良くなってもそれは復活しまい。番組コンテンツ視聴者と購買させたい層がマッチしなくなっていたり、そもそも、視聴率自体が落ち、仮に高視聴率であっても、アナログのテレビ視聴の際にインターネット接続しながら見る人が増えている(ゴールデンタイムはそれが顕著に出る)この状況を考えれば、窓口としてのテレビは絶大でもテレビ会社にはお金が落ちなくなっているのは容易に推測が付くものだ。この傾向はどんどん進むだろう。
自分もそうだがテレビを観るに当たってネットサーフィンしながらというのは少なくない現象になってきているのだ。テレビで何か観る、CMの後追いでも番組の後追いでも良いので検索する。もう普通にやってる人が多いのではないだろうか?テレビ、ラジオのようなプッシュメディアはインターネットのようなプルメディアと違って露出を掛けるのには本当に最適だ。そういう部分は有用な部分なのだ。確かにこれらのことはすでにラジオやテレビでもやっているが前半分に対してのインフラは整っていないし、テレビ屋さんラジオ屋さんの所為かもしれないがアクセスしようとするとそのリアルタイム制が著しく悪いことも分かる。その辺に改善の余地が大きくあるのだ。
自分はライブドアはテレビ局やラジオ局になりたいんではなくて、広告代理店に取って代わりたいのだと思っている(新ビジネスモデルの中での話なので現在と請負範囲が微妙に違うとは思うが)。実際にフジ・サンケイに的を絞った理由は分からないが、最初にビジネスモデルを構築するときに小さいところでやると水平展開の時に問題があるので、ある程度大きなところでやる必要があったのは事実だろう。
こういった方向性に答えたのがデジタル放送だ。しかし、各所での記事の通り、現在のデジタル放送の双方向性は、ただ単にインターネット端末と組み合わせただけの方がすばらしく良いのだ。通信インフラがどんどん変わっていく世の中に未だに固定的に電話回線にモデムでしか返信出来ないのは、本当に狭い範囲での効用しかテレビ業界(あるいは総務省か)が考えていない証のような気がする。私はデジタル放送のメリットは画質が上がるまたは安定する以外にあまり感じないが、こういうプルメディアとの組み合わせは本当に期待出来る部分なのだが。
同じテレビでもスカパーなどお金を払ってみるコンテンツならばまだ生き残るすべはあるに違いない。新聞も紙の総覧性はまだモニターで見る手段に比べて強いと思っているので、まだ生き残ると思う。しかし只のテレビとラジオは?
テレビの協会長がフジの日枝ださんだというのはよく知られているが、ラジオの方でUHF7chを使って始められているデジタルラジオ推進協会<http://www.d-radio.or.jp/>理事長はニッポン放送の亀渕さんだ。
※デジタルラジオ自身の広報サイトは<http://www.d-radio.jp/>
亀渕さんは総務省にこのデジタルラジオの早期実現に向けて働きかけている。その中でそうすることによって「ラジオがテレビと共通の土俵に載る」ことを明確に伝えたとされている。「テレビとかラジオとか単純に区別出来ない」とも。彼は方向性は分かっている。もし分かっていないなら彼にはそれが分かってる優秀なブレーンが居るに違いない。もちろん日枝ださんも分かっているはずだ。経営者なんだからどこが自分の会社の弱みなのか把握してないわけがない。
ならばなぜ、その話が漏れてこないのだ。
今後誰が主導権を握るのかは分からない。しかし、ラジオもテレビもそのビジネスモデルを変えなくては生き残れないところまで来ているのだ。
どちらにせよそのときは来る。ホリエモンが予言した10年後まで待てるかどうか知らないが。
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