« 中川翔子が「王様のブランチ」出演! | トップページ | 仮面ライダー響鬼 第十五之巻 鈍る雷 »

2005.05.07

ドラゴンボール化現象

 番宣で琴線に触れないとなかなかアニメを観なくなっている(昔はアニメはとにかく観るというようなヤツだったが時間も興味も失せてしまっている。)のだが、休みだったので、たまたま先日観た「NARUTO」は久々にぐぐっと来た。20年前だったら、熱く語って何度も見直してたんじゃないだろうか。空間の形質が変わるとそれに併せてどんどん動きが変わるのは良い。「NARUTO」には興味がないんだが、こう言うのがあるとまた観てみたいと思うようになるんだろう。

 ただ、あんなにスゴイ作画なのに、結局「ドラゴンボール」的表現なのには残念感が涌いてきた。それだけ「ドラゴンボール」の呪縛はすごいんだろう。戦いが進むに連れて何度でも蘇って戦うの繰り返し、何かに打ち付けられてそこからはい上がる。マトリクスシリーズなどにも影響が見られる。

 粘る敵は好きだが、毎度これだと如何に映像が凄くても、辟易だ。これ以外の方法は無いんだろうか?この壁を誰か破れないか。

 以前、既製品のアニソンをコラージュする(専門的にはなんか言葉があったような気がするが忘れた。)遊びで全部オチが「タイガーマスクII世」のアントニオ猪木の歌(これもタイトル忘れているなぁ)に成ってしまうってことが有ったがなんかあの感じに似てる。

 話としては自分がマンガを描いていたときも敵は多少粘っこい相手の方が好きで、そういう演出をしてきたし、以前のアニメや特撮であっさりしたやられてしまうと「もっとガンバらんかい」と突っ込んでいたのだが、そういうのが蔓延するとソレハそれでイヤになってきている。(わがままな話かもしれん)

 ただ、ちょっと方向性が付くとそういう演出ばかりになるのは、思考停止というか楽しすぎじゃないかと思う。

 断っておくが、その対象にしている「NARUTO」の回の作画に関してはドラゴンボールとは比べ物にならないほどよかった。けど、決着も付かないし延々とやられた復活したやられた復活したが続くとやっぱり上記の様なことを考えちゃう。

 なんか我が意を得たりってのが来ないかなぁ。

« 中川翔子が「王様のブランチ」出演! | トップページ | 仮面ライダー響鬼 第十五之巻 鈍る雷 »

アニメ・コミック」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

特撮」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ドラゴンボール化現象:

« 中川翔子が「王様のブランチ」出演! | トップページ | 仮面ライダー響鬼 第十五之巻 鈍る雷 »

2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

Twitter


BOOK LUCK!

無料ブログはココログ