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2006.01.20

テレビドラマ「白夜行」1stインプレッション

 TBSでドラマ「白夜行」が始まった。2時間スペシャルである第一話の反響が凄かったようだが、私は、第一話を見て「こんなことしてたっけ?」と思ったことがあったので文庫がでてたはずだと購入して読んでみた。

 さて、実はこの第一話、大半の部分はテレビオリジナルである。何故かというと主人公の

桐原亮司と唐澤雪穂は小説では本当はどういう関係であったのかは分からず、あくまで状況証拠と推測でしか語られない。そもそもがこの二人の心情すら全く描かれていない。観察された情報だけが表されているだけだからだ。しかし、故にジワジワと二人の行動の動機へ詰め寄り、最後にそれに合点がいくような構造になっている。

 その所為で私はこの物語は小説がベストの形で、出来て、ラジオドラマ、内容を損ねないでの映像化は難しいだろうと思ってた。分量の問題、何よりも見た人間に顔が見えてしまうと台無しになる場面が多々あり、トリッキーな画面演出をしてもしんどいだろうな(逆にそう言うシーンばかりに成りかねない)と思っていた。だから今回のでドラマ化に当たっては疑問符を打っていた。

 結局、第一話は最終的にそうであろうとされる二人の強い絆が生まれたシーンの読者選択肢の一つを映像化したことになる。小説の紐解き方とは逆なのだ。しかも、主人公のモノローグで進んでいくように、その心情を表立って表現している。したがって徐々にバックボーンから彼らの心情を分かるようになるのでなく、少なくとも桐原に関しては心情は手に取るように進められるようになっている。そして、小説の牽引役である二人の内、笹垣は登場場面を増やしごく初期から彼らを追うこととなる。今後、笹垣をストレス供給者にしてそれに呼応するように主人公たちを動かそうとする話へのシフトを考えていることが良く分かる。(小説では笹垣は捜査を続けているものの桐原と会うのは少年時代と最後のシーンだけ。)

 確かにこの方法は分かりやすいかも知れない。ただ、私はこういうストレス供給者とストレス受容者を軸にして進める話は好きではない。個人的にだが、安易だし、日本のテレビドラマなどに多いいじめられ物はこの典型的な物なので、好きな人が多い取っ付き易いというのは分かるのだが。それにそのことによって伝えたいことが本来と変わってしまうような気がするのだが。

 テレビドラマである。連続物の1クールである(第一話の引きがそれを物語っている)。視聴率が欲しい。そう言う意味ではテクニカルな脚本かも知れないが。どうも好きになれないのだ。最近頓に多い。小説の方は松浦も含めてそう言う連続的なストレス供給者の存在はない。

 まぁそう言うことを除いても一番美味しい部分を先にやってしまったのでこの先どうするんだろうとも思う。

 単独の話としては個人的に「第一話」だけは怪訝に思った点を除いては、良かったと思った。実写版「ちびまる子ちゃん」でまる子の姉の役をする福田麻由子が雪穂の幼少時を演じているが(流石に幼女売春シーンはさわりだけなのだが)、頑張っていて、桐原亮司の子役も良かった。他の配役も妙な大阪弁を使う武田鉄矢(関西弁は外から見た関西とは別に見事なテリトリー分けがあり、外から見ると微妙な違いがあって、違っているとすぐに突っ込みが入る。人口がある程度居るので、そういう意見も目にも付きやすいだろう。おそらくそう言う主旨の感想を書いたブログも結構あるはずだ。本当はドラマの方言というか言葉遣いは他の所の言葉も東京近辺を含めておかしいのだが。)以外は分かりやすかったのではないだろうか。

 武田鉄矢を配役したのもストレス供給者としての役目を考えれば、何となく分かるのだが。

 で、小説を読み返すことになった理由だが。怪訝に思った点・・はハサミの扱いである。

 切り絵が得意な亮司という設定は小説でもある。ハサミは重要なアイテムだが、桐原の父親殺人の凶器については前にも書いた通り、ハッキリとはしていない。それがテレビ版ではハサミを凶器と設定し(ここまでは良い)、それが凶器と警察に認知される所までやってしまった(それでもまだ処理の仕方次第で許せる)。問題は証拠として押収したハサミを形見だからと言って、捜査継続中に持ち主(=この時点では死亡した犯人)の遺族である雪穂に返却するところである。

 これにはさすがに参った。ドラマであるが故に読み難くもあるのだが、小説では事件から1年以上経過して雪穂は養女となって西本家にいく。テレビではその時間がない。あれほど短期間の間に鑑定が済んでいたとしても重要証拠物件であったはずのハサミを返すものなのだろうか?しかも、怪しいと思っている笹垣自身の手から。小説ではハサミは結局亮司がずっと持っている。犯人を母親になすりつけたりもしない。だから忘れ去られてしまうのだ。噂だけで。

 確かに最後のシーンを原作のように描く以上(それは第一話にも出ている)、あのハサミは必要だ。だが、ハサミを見る物に印象づける、または作劇上、一度、雪穂の手に渡すために(ドラマの中では、原作の20年間の流れを短期間に展開させるので捜査が続かないようにして犯人を確定させるために雪穂の母を犯人に仕立てておく必要があったのだろうか。それならなおおかしいのに。殺人事件の時効期間も計算出来てるだろうか?)やってしまったのだろう。

 或いは第一話のクライマックス、プラットホームで太陽の切り絵を作るシーンを作るために。

 今後、どのように話を処理していくのか興味はある。どこまでダークサイドな話に出来るかと言うことも含めてだが。しかし、視聴率は取れても名作には成りえないなぁと第一話を見て思った。

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