「アサヒ100年ブラック」のCMに違和感
今年はブラックを売ろうという缶飲料メーカーの動きがある。あると言っても、アサヒがブラックのラインナップを増やし、宣伝にも金を掛けていると言うのが目立っていて、他は定例のリニューアルとキャンペーンやってる印象しかないんだが。個人的に缶飲料の価格でなければ、あの味では満足出来るわけ無いと思っている。でもまぁ甘ったるいだけの缶コーヒーのバリエーションとして、一時期には売り上げを伸ばせるのかな?
毎日インタラクティブの記事
缶コーヒー:ブラック商戦激化 健康志向が波及 「おじさんの目、甘くない」
URL= http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/kigyou/news/20060411ddm008020129000c.html
(もっともこの「無糖」は本当に0ppmの糖分添加を保証する物ではないのだけど。)
で、記事はそんなことを分析するわけではない。
表題の100年ブラックのテレビCMの件だ。このCMは上のURLの記事の通り、日系ブラジル農園の豆を使っているところが売りなのだ。そのキーワードが「100年」。開墾の歴史を年数に置き換えた物だそうだ。そういった夢や希望、あこがれを現したCMになっている。そこに何故か「勇者ライディーン」のワンシーンが入っているのだ。
二条河原落書 「WONDA 100年BLACK CMにライディーン!?」
URL= http://rakusho.exblog.jp/3480368/
ここの記事によると「子供の頃のロボットへのあこがれ」としてライディーンを選んだとのこと。
このアサヒ飲料のコメントを見て「?」と思った。「ロボットへのあこがれ」=「ライディーン」と何故成るのか?確かに「勇者ライディーン」は「巨大ロボット物」の草分けでオモチャとして成立する変形機構を提供した点でパイオニアなのだが、「巨大ロボ」への「あこがれ」を感じるものかというと、ちょっと違う気がするのだ。
というのはまず、「勇者ライディーン」は広義の「巨大ロボット物」に入るものではあるが、「ライディーン」がメカニックとしての「ロボット」なのかどうかは劇中では明確に語られていない。神像にフェードインして動く物に変わる。むしろ「大魔神」のようなもので、巨大ロボットなのかと言われると首をかしげたくなる。
それに加えて「あこがれ」が付くとさらに違和感が増す。巨大ロボとしてはサンライズ系の後企画である「コンバトラー」やそもそも、それ以前の草分けである「鉄人28号」やダイナミックプロ系の「マジンガー」や「ゲッター」もある。「ロボット」なら、それこそ「アトム」があるじゃないか。それらに憧れたなら分かるが
「ライディーンで巨大ロボに憧れたんだろうか?」
確かに「勇者ライディーン」は面白かったし、私も好きなんだが(前半の富野版も後半の長浜版もそれなりに好き)、「ロボットへの憧れ」を感じるようなものだったかというとやっぱりなんか違う。「ライディーン」に憧れてロボット製作を夢見ていたと言うような話は聞いた記憶がない。普通はやっぱり「アトム」や「ガンダム」あたりを答える人が多いと思うのだが・・・だから、どうして選ばれたのかと言うのには、今分かってる以外の要素があるような気がする。
にしても「巨大ロボ物」が廃れて、話題になるのが「ガンダム」くらいしか無くなって、久しいなぁ。今の「巨大ロボ物」風味のアニメは「巨大ロボット」への憧れは感じないし、醍醐味もない。ふぅ。
あ、ちなみに缶コーヒーのブラック、筆者は飲むならサントリーBOSSのブラックが良い。でも、ネスカフェの「香味焙煎」の方がもっとマシに思う。
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