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2006年10月

2006.10.31

ラーメンも商品開発が大変だなぁ

 コラボレーションというか、店舗名の入ったカップラーメンはもう珍しくないのだけれども、それでもちょっと驚いたのが下のURLで書いてある「くろいわ」のカップ麺。

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2006.10.24

「クライマーズ・ハイ」インプレッション

 やっと読みとった。間に色々入れてしまった所為もあるのだけれど、どうもこの手の話を私が好きではないものだから、読むのを休み休みにしてしまった。その方が遅れた言い訳には相応しいだろう。

 そもそも読み始めた動機が「クライマーズ・ハイ」と言う現象と「日航ジャンボ機墜落事件」とが、どう結びつくのかを知りたかったというものだったのも、良くなかったかも知れない。

 さてこの話、大筋で3つの話が主人公をコアに交錯している。この交錯がこの作品を嫌いにしてしまった大きな要因だと思う。3つの話というのは若手記者、望月亮太の事故死に関わる話、衝立岩に一緒に登る約束をしていた安西の不可解な死(あえてこう書いておく。実際は違うのだが)、「日航ジャンボ機墜落事件」にまつわる地方紙”北関”の内部でのイザコザである。

 望月の話は本当に首題を突き詰めるのに必要だったか怪しいし、安西の話は結末を美しくするためには必要なのだが、他にはほんのちょっとミステリー要素を持たせるくらいの効果しかなく、逆に掘り下げが足りないように思う。もちろんドラマにチョイスされた理由でもある、3つ目の話が一番ボリュームがあるし、関わる登場人物も多く主軸なのである。これだけで書けなかったのは作者の照れなのか、見込み違いなのかは良く分からない。

 パッと見は面白そうな仕掛けが多く、どこからか引っ掛かって、グイグイ読めそうな気がするのだが、なかなかそうならなかった。

 主人公を突き動かすのは心的外圧がほとんどで、3つの話の中で、その応答=行動の統一感が無く、理解できかねることも多々あり、主人公に感情移入できなかった。いや、もっと他に見方があって、感情移入などする必要はなかったのかも知れないのだけれども。そう思えるような主人公の書きっぷりだった。

 結局、主人公の自分の度量を越える「日航ジャンボ機墜落事件」に注力せざる得ない状況をいわゆる「クライマーズ・ハイ」になぞらえてあり、「クライマーズ・ハイ」が解けた時、ポロポロと壊れ行く自分の視界に、望月亮太や安西、それからその事件自身にまつわる「北関」の内部事件の問題へと入り込んでいくわけだが・・・どうも主人公に憐憫の情以外、湧いてこなかった。そう感じるエピソードが多すぎる所なんかも気に入らない。

 この辺の分量は判断が難しいのだけれども、どうも入れすぎてしまった感じがするのだ。これでもかという感じで終盤まで主人公は追いつめられていくので、読んでいる方も疲れ果ててしまう。

 で、ありながら、それらを帳消しにしてしまうような、ラストのまとめ、プチ大団円的収めに不満がある。ヒーロー物のようなあっけらかんとした物だったら別だ。それを否定するような作劇をして、あれだけ追いつめられたのに、話は仕舞いのフェーズにはいると、一変穏やかになってしまい、状況もストレス供給者の退場についても、そうでないものの台頭についても、どうも都合良すぎる事実がポンポンと出過ぎてしまう。伏線がないわけではないが、救われないことが多かったことに対して、突然にしかも多すぎるように思うのだ。コレはちょっとどうだろうと思った。また、それに、テレビドラマでは使われなかったセリフに、主人公がものすごく救われているかのような描写があるのだが、あの辺りもどうも釈然としない一因になっている。

 先に美しいラストを思い描きすぎて、それに辻褄を合わせるための場を無理矢理に作ってしまって、破綻してるように感じたのだ。

 だから、美しいキマった最後なのだけれども、そこに至っても主人公や安西の息子が心理的に救済されたのかが分からないし、仮にあったとしても、この話にはそれは結局馴染んでいないと思ったのだ。

 どこまでが作者の体験した事実に沿って書かれているのか分からないが、非常に興味深い内容が書かれており、そこは悪くないとも思うのだが、詰め込みすぎた感は拭えない。ただ、マスコミに・・・特にジャーナリストについて考えている人には一読をお勧めする。

 ドラマの方も見ておいた方が良さそうなんだがなぁ。三度目の放送はあるのかしら?

2006.10.07

携帯電話メモ20061007「冬モデル」

 もっと早く書く予定だったのだが、ナンバーポータビリティ対応のドコモの最新機種の情報待ってたらこんなことに(笑)コレは来週発表のようだけど一回掃きだしておこう。

 auは無難にいつもの路線だが、冬モデルのスペックは興味がある。ただ、それでもどうも個人的には食指が伸びないだろうことは、このブログを読んでもらっている人には分かるかな?秋モデルではW43CAはが良い感じだった。それからむしろ腹が立った方に入れて良いのはビジネス向けなんだけど新機種のE03CA。これってW42CA G'zOneのスピンオフ機種なのだけれど、こちらはBuleTooth搭載など、やれば出来るなら最初からやれよとつい思ってしまう仕様になっていて、W42CAII出さないかなぁと思ってしまった。 こういうこだわりがない人なら薄いし持ちやすく操作しやすいので、W43CAは良いと思うけどなぁ。色も落ち着いた良いところを狙ってる。個人的には赤が好みだけど。

 この辺は詰めの甘さを感じる。

 冬モデルのDRAPEはあのシワシワが良い感じだ。触らないと分からないけど、滑りにくいような気もするのでその辺も好感触。黒が一倍良いけどカッパーの色もそこはかとなくエレガントで好みだなぁ。W47Tも同じ色っぽい。中身も同じかな?私の知り合いに東芝機しか使わない人がいるんだけどさてさて評価は?

 ただ、全体にデザインはあんまりハッとしない。冬モデルも表側だけなんだよね。

 ハイパーメディアクリエーターの・・・名前を忘れちゃったな(笑)・・・高なんとかって人が週刊アスキーで「デジタルガジェットにデザインなんて意味がない。」と言って「薄型」と言うデザインを指示してる変な記事があったんだけど。ボーダフォンの記事見ると思い出すなぁ(笑)どうも標的らしいG'zOneは機能を追求してる内にでかくなったんだし、そう言うスキマ狙いっぽいヤツなんだよと思うんだけど。(それにしてもあの人の収入源って何なのか未だに理解していなよ(笑))ボタンの押しやすさとか画面の見やすさとかそう言うことも含めてデザインだろうにと思うのはやっかみかなぁ(笑)

 まぁ平時見かける、たいていの人は傷だらけでガタガタでアンテナ取れてても使ってる人が多いようなんで、確かにデザインに気を配ってるのは、初期だけか酔狂な人ってのもあるかも知れないけど。何台も持たない人は結構拘ってるんじゃないのかなぁとも思えたりして。

 個人的には薄すぎるのも考え物で、今のところ明らかに壊したのは薄いのしかないので敬遠している。丈夫って良いなぁと(笑)思ってるんだけど。

 それからその彼が好きなボーダフォンはソフトバンクに変わってデザインの奇抜さが別な方向を向き始めた。今回は旗艦機にはシックな色合いが多いし、(ガチャピンケータイには度肝を抜かれたけど、中国の携帯電話みたいに奇抜な配色ばかりというのはどうも・・・)薄いのは健在なので満足なんじゃないかなとは思うけど、海外での使い勝手に関しては維持できてるんだろうか?・・・この辺は他社ユーザーの意向を見越してなんだろうなぁ。

 コンテンツをヤフーに集約するのも或る意味正しい。確かにコンテンツ毎に約款読んで契約し照ってのは疲れる。でも、携帯用のヤフーに本当に全てが揃っているかは分からないなぁ。そんなところはそれなりに気にしてる。

 コレでつながりやすさが解消できれば・・・変わるかなぁ?

 機種としてはドコモは来週だしどんな戦略なのかは興味津々。その前のCMは鼻につくけどね(笑)

 それに、結局ナンバーポータビリティが始まっても、そうそう移動させないと思うんだよなぁ。色々面倒だし、ってかんが得る人は多いんじゃないかなぁ。ドコモの管理ソフトの配布は面白い戦略。CMのタレント、キャラクターの入れ替わりもあるし、節目なのは間違いない。

 ウォッチャーとしては面白いよね。

2006.10.05

「DEATHNOTE」アニメ版1stインプレッション

  • ホントに見ただけ。
  • 色味は気になるけど作画は問題なし。
  • むしろ良い方。
  • ノートに書く、書く、書くシーンの作画や気味の悪い回り込みは「ほぅ」と思った。
  • でも、唐澤版「白い巨塔」のメスをタクトに見立てての指揮者シミュレーションみたいで一歩間違うと笑う。
  • 演出や話の内容に関しては今回は1、2話を時系列に並べ替えただけでコレからだな。Lが出てから後、壊れて行く月との戦いが面白いわけで。
  • 学校の描写は少し原作と違った雰囲気だったけど、あんまり無かったからなぁ。
  • 映画版レベルはクリアしそう。
  • 中村獅堂はどうもリュークっぽくないんだよなぁ。
  • 3クールでどういう配置を考えるかは興味がある。
  • ただ、何となく現時点で”面白い”感じがしないのは何故だろう。
  • チャンと終わった原作付きアニメではあんまり心配はしてないんだけど。

以上。

2006.10.02

「スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ」インプレッション

 意外っていったらいいのかな。結構面白い。もっとダメダメだと思って所為なんだが。

 監督が深作健太なのでこんなもんだろうと思っていたレベルはクリアしている。

 いじめられっ子の心理変化が変だし、結局、銀行強盗が何だったのかも分からないし、ネットの流行言葉を使ってれば新しい感じがすると勘違い、上げればもっと襤褸がある酷いシナリオも昔の「スケバン刑事」から比べたら可愛いもんじゃないと思う。

 昔の映画版「スケバン刑事」のくだらなさは忘れようとしても思い出せないほどの物だ。ヘリコプターで最後を迎えた京本正樹以外のビジュアルが何も思い浮かばない。セリフのかけらも何にも浮かばない。よく考えたら東映のアクション物ってそんなのばっかりだったなとか思い返しつつ、スクリーンを眺めていた。

 隣のオヤジがどこからか忍ばせた酒を飲みながら

 「まんがじゃん!」へっへっへっ

と言っていたが。そうそう「まんが」なんだよ。「漫画」でも「マンガ」でもなく、原作のような濃い葛藤があるわけでもなく、ただの「まんが」だ。

 松浦亜弥は良く動けていた。台詞や演技の下手さは喜怒哀楽をきっぱりと分けたキャラ設定で隠して上手くやってる。石川梨華は実質アクションはしてないだろうなぁ。二人ともほとんどスタントだと思うが、決めるとこは決めてたし、松浦亜弥はポンポンと腿上げて走る姿が小気味良い。

 基本的にアイドル映画なんだし、ある程度興行収入を得たら次も作れるように作ってあるしとは思う。

 ただ、見るべきだなんて口が裂けても言えないのだが。

 ラストのアクションシーン取り巻きの特性をもう少し魅せて盛り上げた方が良かったように思う。唐渡亮(仮面ライダーアギトのG4やミラーマンリフレックス)が勿体なくって(笑)あと、これも野暮だと思うがマシンガンを跳ね返すあの革つなぎが日本刀で切れるのは何だかなぁと思いながら、見ていた。もう少しこの辺のアクションを盛り上げてしぶとさを出して欲しかったなぁ。

 ただ、観客の動員に関しては弱そうな感じ。おまけ付きの前売り券も相当残ってるみたいだし、その辺は見込み違いというかハロプロにそれだけの吸引力はもう無いというのを感じた。

 1,000円ならお得。通常料金なら?・・・

 もうすこし「まんが」に磨きを掛けて欲しい物だ。

※少なくとも「ライオン丸G」よりはずっと面白いよ。

2006.10.01

「日本以外全部沈没」インプレッション

 くだらない(笑)

 お勧めもしないし、よほど気のおけない仲間と観るのでなければ、観ない方が良いかも知れない。これはそういう映画だ。

 観客は観るからにそういう感じの人ばかりで、しかも結構盛況だった。

 普通の人に観せたら、安いギャグと安い楽屋落ちに対しての忍耐力試験のような映画に思われるだろう。だが、これはそういうものとして作られたのだから、それがいけないなどと文句を付けるのは筋違いだ。楽しむ為には少々努力が必要なだけだ。

 それでも、ケチ付けるとしたら尺が長過ぎじゃないかな(笑)と言うところか。ギャグはくどいと飽きちゃうからなぁ。

 だから、今日映画の日にすら観に行くつもりがない心構えの人は、レンタルビデオのリストに入るまで、一念発起して身に行ったりしない方が良い(笑)

 出来れば「日本沈没」と併映で見たかったなぁ。

※個人的には藤岡さんはやっぱり藤岡さんしか演じられないなぁ(笑)と確認できて大満足です。多分そんな人が2%は混じってると思う(笑)

「邪魅の雫」インプレッション

 そうかそういうことだったのか。鈍いなぁ。<オレ

 「塗仏」の後に何故「陰摩羅鬼」で「邪魅」なのか、本作を読んで一人で合点してしまったのだ。それは私の"世界"の話で"世間"や"社会"で通用するのかは解らないが、やはり「塗仏」で終わっていたのだ。しきり直しなのだと。

 妖怪好きや読んでいる人には分かるが、「陰摩羅鬼」は鳥の意匠を持ったお化け、これは「姑獲鳥」に共通するものだ。「邪魅」は邪なる魑魅・・・「魍魎」とは違うが対のような関係で係わりがある。「陰摩羅鬼の瑕」は読了後、話の根底にあるもの何となく「姑獲鳥の夏」を思い出させる程度に思っていたが、今作では「邪魅」の講釈を京極堂がすることさえないし、関口がいつになく普通の人ではないし、榎木津さえおかしいのだが、ヒーロー京極堂、最終兵器榎木津の構造だけはかろうじて保たれていて、京極堂シリーズたり得る物語になっている。そうそう「邪魅」は「魍魎の匣」だったか、なにか他の話の時に講釈をしてしまったので、関口が口走る事で済ましてしまったのだろう。

 その程度の了解なのだが、何故か合点してしまったのだ。だからかも知れないが、ここのところいつも書かれていた表紙カバーの見返しには、次回作タイトルは書かれていない事が気になる。(2006.10.03追記、書籍自身の京極堂シリーズリストの最後に「鵺の碑-いしぶみ-」との表記有り・・・鵺かぁ。鵺って言えば・・・)次作が既作のどれかと対になるのかならないのかは解らないのだけれども、単純に印象でそう思っただけなのだ。「陰摩羅鬼の瑕」から2周目だと。

 さて、今作は前作と違い、京極堂シリーズ以外のとのつながりを持つことでの効いてくる仕掛けが見えない。「陰摩羅鬼の瑕」は横溝正史を出してみたり、巷説百物語などとのつながりをほのめかしたり、切り売りされた時の遊びをそのままに入れていたところが気に障ったのか全体に文が荒れている感じがしたのだが、今作はそんなことはない。それに整理すれば割に簡単な構造の事件なので半分も読めば事件の構造は解るし、発端も解るのだが、その中で右往左往する人の有様が面白いし、前半の憑物落としで「面白くない本など無い」と言う京極夏彦の持論を中禅寺が代弁してみたり、ちょうど今自分がはまっている事へのヒントとなることがあったりして興味深く、楽しく読んだ。

 しかし、一旦終わった(区切りをつけた)話の、すきまを埋める話ではなく、2周目の続編が続くことに関しての意味は余りよく解らない。京極堂シリーズは一度行き着くところまで行ってしまった(最強の敵、堂島を出してしまった)ので、それ以上のものが見られるかどうかは私には解らなくなっているのだ。もし対にして作るならこの後、どれだけ待たねばならないのかと思うと・・・この選択が良いのか悪いのか私には解らなくなってしまったのだ。

 それでも次作が出れば読むと思わせるだけのものは出来ていた。

 個人的にはむしろ、他の切り口として、サブシリーズである薔薇十時探偵社シリーズや、新書で前巷説百物語は早く読みたいと思っているのだが、更に踏み込んで京極夏彦のもっと違う形ので「妖怪普及活動」も見てみたいなと思う気持ちが強くなってきたので、その所為で不安を感じているのかも知れない。

 いや、単純に「京極夏彦」を失いたくないだけなのかも知れない。このまま保存していたいだけなのかも知れない。キズが付く前に。頼もしい、面白い「京極夏彦」の紡ぐ話を。

 今作はこのままの作劇法の意図では映像化不能である。いや出来なくはないがやってしまったらつまらないだろう。ギリギリ、マンガなら良いかもしれないがアニメや実写ではこの話の一番キモが構成要素として機能しない。「デスノート」原作のラストシーンを映像でやることの意味の無さと同じだと言って分かる人が何人いるのか解らないが、小説だからこそ、面白い話なのだ。京極夏彦の話はそんな話が多い。映像化は単なる解釈の結果しか現さないから、無理なんだろう。そんな言い訳もなんだかこの話には入っていたような気がする(笑)「姑獲鳥の夏」も原作と同じ楽しみ方は最初っから不能だったわけだ。

 今作は京極堂シリーズのファンにはお勧めだ。「陰摩羅鬼」で挫けた人も楽しめる人が多いのじゃないかな?

 せめて1年に1作出るならば着いて行けそうなのだが。

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