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2006年12月

2006.12.28

「PLUTO 004」インプレッション

 また振り向きかよ(笑)

 今回振り向いた彼は天馬博士。アトムの生みの親だ。こんな事はファンなら言わずとも知っている。

 003では咆哮であって振り向いてはいなかったし、正確に言うと次の巻の表紙の”人”が振り向いていたのに今回は表紙の人が振り向いてるのだから毎度同じようには行かなかったわけだ。

 大筋の流れはきっとオリジナルと同じなのだ。だからこそ腕の見せ所が有るってもんだろうと読んでいて感じる。

 と言うことはアレも居るんだよな。

 この後どれほどのボリュームが待っているのか判らないが、ゲジヒトの謎、プルートゥの謎、そしてボラー。それをどう束ねていくのか楽しみだ。

 読んでいて時々思うのだ。もし存命されていて、この企画が通ったら(そんなことはあり得ないと思うが)神はどう振る舞っただろうか?

 いよいよ役者が揃った。これからが待ち遠しい。

P.S. サイバラの後書きマンガが付いているのだが、「あしたのジョー」は流石に描かないだろー。アレに手を出すのは怖すぎる。

2006.12.27

「冥福」は祈れない

 JBことジェームス・ブラウンが亡くなって、ニュースをパラパラと見ていたが、アメリカ政府の誰かが「冥福を祈る」とコメントしたというのを聞いた。JBの出自から考えるに、彼はおそらくキリスト教徒であったはずだ。仏教徒ではあるまい。この言い間違い、日本人が言ってる分には単に「無知なんだ」で自分はかまわないだが、アメリカ政府の人がそう言ったなら(ブッシュだったのか単にスポークスマンだったのかは未確認)変だし、言っていないなら誤報(誤訳)だ。

 時々、自分もそうだが、「冥福を祈る」を錯誤して神道の人に使ってしまったり、信教をよく調べもしないで使ってしまうのだが、外国人の時には、信教が違う場合が多く、もう少し確認して貰えないかと思った。

 向こうだと冥府なんて言われたらハデスが出てきそうだ。冥”福”は無さそうに思う。

 神道でもそうだ。

 で、確認のために手持ちのコンサイス和英辞典で「冥福を祈る」を引くと

 pray for ( the bliss of ) the dead.

となっていた。「至上の死を祈る」だろうか。本当に慣用的にそれを使っているかは怪しいが、死を「昇天」と位置づけ、喜ばしい事と置き換えるキリスト教ならこの表現有ってもおかしくないように思う。ただ、それに冥福を祈るという訳語を当て、辞書に載せるのは、甚だ疑問なのだが。

 国内のキリスト教ではどのように表現しているのだろう。或いはそう言う表現自体無いのかも知れないが。

P.S. もちろん合掌もおかしいし、「鬼籍には入る」も気をつけて使わねば。

2006.12.26

特撮メモ20061225_2「ライオン丸G」最終回

 「ライオン丸G」最終回を見たんでメモ追加。

 見終わって、思ったのはやはり思いつきや雰囲気だけでは面白くないと言うことだ。無意味では無いけれど無惨に周りの人間が殺されて、錠之助も爆死して、救いのない話にして凄いでしょってな感じが丸見えなスタッフに救いがない。

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2006.12.25

特撮メモ20061225「おしせまる」

 今年も押し迫ってきていよいよ、特撮番組も最終回へ押し迫ってる。

 「ウルトラマンメビウス」、「仮面ライダーカブト」はすでにクランクアップして情報が活字で確認できる。「戦隊」やもう終わる「リュウケンドー」もクランクアップしてるだろう。

 「ウルトラマンメビウス」は先日のレオ登場の回は燃えた(笑)

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2006.12.20

[訃報]岸田今日子死去

 岸田今日子が出ていた「WOOL100%」の記事を書いたらコレだ。ムーミンの声でもなじみ深いが、彼女しか出来ない役が多かった。前の「犬神家の一族」にも琴のお師匠役で出ていたんだなぁ。

 今年は訃報が多い。自分がショックを受ける別れもあった。自分が年齢を重ねていけば当然のこととは言え、その悲しみに耐えるのも人生なのだろう。

 それでも割り切れないものだが。

鬼笑い 来年の興味ある映画リスト2006

 来年は初っぱなに「どろろ」GWには「鬼太郎」が待っている。妖怪映画の極めつけなのだが色々不安材料も多いことは事実。

 ちなみに今年は妖怪映画と言えば、

 「猫目小僧」と「WOOL100%」が有った。見たかったが場所と時間の関係で断念。まぁ前者はどちらかというと伝承とは関係ないし(好きだけど(笑))、後者も妖怪かというとむしろ器物の怪だし・・・と自分を説得していた。見た人うらやましいぞっと。

 「猫目小僧」公式サイト
 URL= http://www.nekomekozo.jp/

 「WOOL100%」公式サイト
 URL= http://www.klockworx.com/wool/

 来年2007年は分かっているだけで4本。便乗等の小品もあるかも知れないので、その辺の情報も欲しいなぁ。

 「どろろ」1007.01.28公開
 URL= http://www.dororo.jp/

 「ゲゲゲの鬼太郎」2007.04.28公開
 URL= http://www.gegege.jp/

 「怪談」2007夏公開(10月という話も)
 URL= http://www.kaidan-movie.jp/

 コレはまだ情報をチャンと取っていないのだけど小泉八雲のではなく「真景累ヶ淵」(しんけいかさねがふち)が原作。「真景」と「神経」を掛けたヤツだ。

 「妖怪奇談」2007.01.13公開
 人間が進化した物が妖怪という設定のDVD宣伝用公開。こういう設定自体は新しくも何ともない、70年代ホラーに良くあった感覚だ。見る前からなんだが今ひとつの予感。

 公式サイト
 URL= http://www.fullmedia.jp/youkai/index.html
 CINEMA TOPICS ONLINEの記事
 URL= http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=7640

 妖怪から離れると先日記事にした「鉄人28号-白昼の残月-」はサイトがオープン。2007年03月31日公開。何となく「あばれ天童」に見えるのは気の所為?
 URL= http://www.tetsujin28-movie.com/

 それから再来年2008年についに「大魔神」復活!監督は三池崇史!!これは監督で期待大。大魔神の出自に関連する話だそうだけど・・・どうなるのか。あと洋画では何を血迷ったか「プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂」がディズニー銘柄になるのかな?から出てくるらしい。DOS版のゲーム「プリンス・オブ・ペルシャ」は名作だった。映画は同じ名前のゲームがあるので、それをした時期にしたものだろう。タイムトリップもちゃんとあるんだろうし、チャンと色っぽいだろう(^^;

 まだ死ねない(笑)

2006.12.18

 「犬神家の一族」2006インプレッション

 「犬神家の一族」は良くも悪くも「犬神家の一族」だった。おかげでモヤモヤすることになってしまった。

 駄作とは言わない。押さえることは押さえてあるし、それなりには仕上がっている。しかし、前作と同じ脚本、音楽、主役でのチャレンジは失敗したようだ。

 取り立てて取り上げることが何もない。と言ったらなんだが、本当にそうだから仕方ない。印象は前回のものとあまり変わらない。前の方がフィルムの所為か暗かった印象があるが、劇場では見ていないので何とも言えない。

 前作と同じ役をやる3人については、石坂浩二が容姿だけでなく、走る姿に老けを感じさせ、大滝秀治はあまり変わらないものの、署長(今回名前が橘からと等々力に)も恰幅が良く成りすぎた・・・と言う風に見えてしまう。30年前の石坂浩二は初見の私にもおじさんだったけど、それでも今回のようなキツさを感じたことはなかった。

 デジタル技術を駆使して昭和20年代を実現し、風景も作り込んでいるので、ボート以外はあまり気にならなかった。ボートはああいうボートが当時からあったのか気になってしまう。映画の中で明らかに違う一番大きな点のは佐兵衛と珠世の祖母との関係のシーンの有無とラストシーンだろうか?それ以外は若干アングルが違うとか(コレはロケ地事情もあるだろう)役者が違うための段取り違いだとかそのくらいなんじゃないかな?

 アングル違いと言ったが、冒頭のシーンなど同じ場所にカメラのセッティングすら合わせてあるシーンが多く。そのことに驚いた。逐一比較しながら見ないと分からないが、記憶がぼけない内に、30年前のものを見直したいところだ。

 同じようだが、それぞれの作品から受ける印象は、違っていて、どちらかというと先般フジテレビでやっていた稲垣吾郎版に近い印象を受ける。佐清と珠世の恋の部分が強く出ていると思うのだ。

 それから好評を博した前作で、もう、ほとんどいじりどころの無いと思われていたシナリオを下敷きに、今回も撮影されているが、尺や間の関係か犬神家の次女梅子の感情切り替わりが機能いない感じがしたところなど、上手く気持ちが合致していかなかったのもモヤモヤしている理由だろうか。

 その他、尾上菊五郎の立ち居振る舞いが歌舞伎っぽく(手形押印を迫られ、足早に退出するシーンの姿勢のブレ無さや廊下で珠世を見つけてハッと立ち止まるところ)って笑いそうになったり、何となく役者がはまった感じがないところや、佐武殺害現場が、余りにもセットっぽかったり、時間があればごまかせそうなところが多く漏れていたのも、残念だった。前作は本当に衝撃的だったので、見直すとそうでもないのかも知れないし、その時の事情とか踏まえると一概には攻められないのだが。

 そうそう、引き継いでいて褒めるところもあった、大野雄二のメインテーマは本当に良い。色あせず良かったよ。

P.S. だがしかし、最大の違和感が深田恭子であるのは内緒だ。あの化粧はないだろう。

参考サイト
横溝World
URL= http://www7.ocn.ne.jp/~yokomizo/

犬神家の一族キャスト比較が載っているページ(横溝World)
URL= http://www7.ocn.ne.jp/~yokomizo/haiyaku-inugami.html

2006.12.15

「ポケモン」世界の食事

 「ポケモン」と言えば誰でも知っているゲーム&アニメだ。そのアニメの話。

 積極的に見たりはしていないし、「ダイヤモンド&パール」になってからは、まだ一度も見ていないのだが、気になる劇場版には足を運んでいるし、安心して見ていられるアニメだと思う。

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2006.12.13

「硫黄島からの手紙」の真価とは

 「硫黄島からの手紙」が米映画批評会議最優秀作品賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞最優秀作品賞を受賞、アカデミー賞の前哨戦である賞のノミネートにことごとく上がっており、日本のマスコミの鼻息が荒い。もちろん、ほとんど全編が米語以外の映画がアカデミー賞を取れば快挙なのだが・・・こういう時は成らないのが最近の常なので、期待はしていない。

 それに映画としての出来の良さよりも題材の良さで選ばれる感じがするのもなんだか。

 そしてとうとう、社内吊り雑誌の広告を見ていて、見つけてしまったのだ。確かに色々な賞を取ってこの映画を見る機会や劇場が増えることは好ましいと思うが、必ず出てくると思っていた。「”名将”栗林中将の物語」と言う輩が。イヤな予感はしていたのだ。

 マスコミにこういう色を付けられてしまうとこの映画の真価は隠れてしまう。もしそれがこの映画の意図を潰すための物だったら本当にイヤらしい行為だし、分からず言っているならなんと馬鹿らしい事か。

 監督自身が語っているようにこの映画は、「戦争がなければ、もう少し生きていられたかも知れない人たちの物語」なのだ。対になる「父親たちの星条旗」は英雄の名を貰って生き延びたけれど不幸だった人たちの話を書いた。虐げられたインディアン男、ブームが過ぎたら就職もままならない男、たとえ寿命を全うして、一見幸せな家庭を築いても、戦争自身のことを子供に語れなかった男と言った面々の物語だ。逆に今作「硫黄島からの手紙」では逆にその戦闘で命を落としていく人間にフォーカスを与え、最後に西郷の微笑みを入れることで対比で際だたせようとしている。

 私が「名将」というのに反応してイヤな気持ちになるのは、「名将」とは何かと言うことにある。普通、「名将」とは軍人というプロフェッショナルが与えられた資源で最大の戦果上げた将、こう思うものだ。

 確かに5日間と言われた陥落期間を大幅に延長して36日も持ちこたえたのは確かに功績であったのかも知れない。しかし、それは2万人を超える犠牲の上に成り立ったもので、この映画が求めている栗林像とは違うものだろう。名将でも知将でもなんとか将でも、それは戦闘指揮官に対しての冠であって、この物語の栗林に枕を付けるのなら「戦争がなければ、もう少し生きていられたかも知れない人」栗林なのだ。

 山本五十六や栗林などエリート達の一部は戦争前に、留学などでアメリカやイギリスを体験していて、戦争開始に反対していたという、しかし、そんな彼らでさえ開戦してしまえば、「国を守るため」という大義名分の上に、ああやらざる得ないところに悲劇があるのだ。「2度有ることは3度ある」を単に美談にしてはいけない。

 彼は映画の中では大本営や海軍をなじるセリフをはいても、玉砕を禁じても、現人神には万歳(もっとも前傾姿勢で苦渋をにじませているのだが、)をし、国のために戦うと生きて帰れると思うなとハッキリと言った。見方を変えれば負けると分かっていて、よしんば勝てても多大な犠牲が出ることを知った上で、2万人の人間を殺してしまった愚将でもあるのだ。

 どんなに弁えて反対していても、巻き込まれてしまっては抗えない。やらざる得ない。その悲劇がこの二つの映画に込められているというのに。だから、「戦争は恐ろしい」のだ。そこを履き違えてはいけない。

 前にも言ったがこの二部作は片方だけでは片手落ちだ。本来ならセットで受賞となるべきだと思う。ただ、単独での受賞しかないなら、物語性が高い「硫黄島からの手紙」となるのだろう。

MSNエンターテーメントの記事
URL= http://event.entertainment.msn.co.jp/pickup/iwojima_pressconference.htm

NIKKEI BPnetの記事
URL= http://www.nikkeibp.co.jp/style/life/topic/movie/061130_iwojima/

NIKKANSPORTSの記事
URL= http://www.nikkansports.com/entertainment/cinema/p-et-tp1-20061212-129224.html

 最初はあんなこと言ったが珍しく来年のオスカーは興味が湧いている。アメリカのアカデミー賞が一国のローカルな賞でない度量を見せて欲しいものだ。

 あともう一つ、この作品は実在の人物や史実を元にしているが、人物描写などはフィクションの手法である。実在の人物がああいう人だったかどうかはまた別の話だ。

2006.12.10

「硫黄島からの手紙」インプレッション

 二部作には二部作の意味がある。どちらかだけでは片手落ちだと思った。

 史実との整合がどうだとかオーパーツや航空機、銃器の確認はミリタリーや歴史のマニアに任せるしかない。自分は感想に終始しよう。

 映画の流れは若干、栗林がヒロイックな扱いなのが気になるが、全体のテーマとトーンは「父親たちの星条旗」と変わらない。あれだけの攻防を描き、陰惨なシーンがあるにもかかわらず淡々と見ている第三者の目で描き出されていく。もう一人の主人公である西郷役の二宮和也は独特の雰囲気を醸し出して、予想超えて遙かに良かった。赤紙の受け渡しシーン、ラストの枯れた微笑み、印象的なシーンが上手く行っていた。

 どちらも戦争の発端や結末を描いたわけでない。訳も分からず、戦争にかり出され、互いによく知りもしないで殺し合い、ただただ疲弊し消えていくそんな人々を描いている。観ていれば、一部の懐を肥やすだけの戦いに、何万の死傷者が累々と並んでいくその理不尽な有様に憤りを覚えるだろう。

 そして、この二部作はアメリカ向けのものだ。アメリカ国民の国家や世間からの理不尽な扱いを「英雄」として扱われながら、人種差別を受け富裕層のちっぽけな満足感を潤すだけの扱いを受け続けるインディアン出身の男、「英雄」ブームがあっという間に廃れ再就職もままならない元英雄を通して語る。

 そして「父親たちの星条旗」で現在の我々が抱く北朝鮮に近しいイメージで「大日本帝国」をとらえている様を描き、一方、「硫黄島からの手紙」では必ずしもそういう人間ばかりではなかったこと、同じ苦しみ、悲しみをたたえていたことを伝える。これは誰しも同じように悲しみをたたえてしまう物が「戦争」なのだと言いたいのだと思うのだ。

 戦争の一部を切り取ることで、もちろん戦争を推し進める独裁者や施政者に対する憤りもあるのだろうけれども、もっと根元的な「走り出した戦争というシステム」の愚かしい造り、止められなさを描こうとしているのではないかと思った。だから「戦争を始めてはいけない」のだと。

 もちろん、戦争がいけないことだというのは、多分、誰もが思っていることなのだ。それに異論を挟む人はいないと信じている。しかし、人間は愚かしくも争い事をやめることができない。それが良い面に働いているだけなら、進歩だったり、切磋琢磨だったりするのだろうけど、人間のモチベーションは必ずしも良質とはいえないだろうから、戦争のような悪しき争いは無くならないかのだろう。しかし、そこであきらめず、こういう映画を通して、あるいはほかの手段でも良いのだけれども、いくらかその回避率を上げることができるなら、その行為は無駄でも無意味でもないはずなのだ。

 重ねていうが、この二つの映画はアメリカ向けのものだ。しかし、当事者だった日本の人たちにも意味があるものだ。もしかしたら普遍的なテーマも語られている。できるなら両方を見て、もう一度自らに問い直してほしい。反面教師が実行可能なのは20%の人しかいないと聞いたことがある。自分が痛まなければ学ばない者がたとえ80%いるとしても、疑似体験的に知ることには意味があるのではないかと思うのだ。説教くさい話なら出来る人はいるかも知れないがそんな者には多くの人は耳を傾けない。残念なことにエンターテーメントでこんな映画を作れる資質はまだ日本にはないと思う。

 なお、2作品はいくつか交錯するシーンがいくつかあるが、時間経過を表す物以外は、明瞭に意図しているわけでは無いように思った。

2006.12.07

G'zOne 3台噺

 E03CAの話から。

 こいつは壁紙や内蔵ソフトがビジネス向けになっているはずだが、それでも欲しい人が多いのか、発売日を探るような検索キーワードが多かった。安心して欲しい。12月08日に発売されるニュースリリースがあった。第一号ユーザーは既報通りクロネコヤマトだ。ケータイと巡回のビジネスモデルを最初に作り上げただけ有って、流石の選択だと思う。どんなソフトを載せて社員に配布するのか興味深い。

KDDIのニュースリリース
URL= http://www.kddi.com/corporate/news_release/2006/1206/index.html

 ただ、こいつ今後コンシュマー市場に出てくることがあるのかは分からない。法人用の仕様だからだ。ソリューションプロバイダ経由で法人に納められるのだと思うが、今までもauの法人使用機種も購入可能だったんだろうか?量販店で売られることはないだろうし、白ロムなどで市場に出ても、個人で機種変可能なのかどうかが良く分からない。

 色は黒なのでスタンダードに欲しい人がいるだろうし、気持ちは分かるんだが・・・バッテリーも大容量だしねぇ。

 トヨタで売ってる車との連携を考えた特殊なケータイもあるんだし、何とか出来ない物か。

 最近知ったんだけど、G'zOneは韓国でもLGから発売されていて、コレは多分ほとんどそのままのはず(ソフトがハングル化されてるとは思うけど)。TYPE-Rのオレンジが出てるのはちょっと悔しい(笑)

URL= http://www.lg.co.kr/kpress/news/pressView.jsp?cmd=view&path=000003000000&print=&news_type=0&year=&month=&news_num=6524&hnews_num=&prnet_type=P&rn=5&page=1&src=
※長いので上手くリンクしてないかも。

 あと北米版はちょっとアンテナが何だけど、広まってくれると良いなぁ。(通信周波数なんかが違うからかな?)G'zOne Type-Vとして発売とのことで、ブランド名が残ってるのが良いなぁ。色は赤とシャンパンゴールドのようなのが確認できるけど種類は不明。

URL= http://estore.vzwshop.com/gzone/

 来年出るかどうかは分からないがしびれるデザインだったら考えるからさぁ。

「エコエコアザラク」映画版公開(06.12.10)追記

 いつの間に作っていたんだか「エコエコアザラク」。しかも2本も(笑)ここ10年ほどの間にテレビも3,4回はなったんじゃないかと言うほど、映像化が多い。今回は今までのと刃またつながりがないのか?多分、DVDの宣伝のための上映なんだろうけど。

 個人的には仮面ライダーアギトのヒロインの一人ですっかりお尻アイドルの線で売っていこうと言うことになってるらしい秋山莉奈が出てるのがポイント。

 でも多分見には行けまい(笑)

Mainichi Interactiveの記事
URL= http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/manga/graph/20061207/

(以下追記)

エコエコアザラク R-page 12月16日公開
監督 : 太一
出演 : 近野成美 、 伊藤裕子 、 虎牙光揮 、 IZAM 、 篠井英介
エコエコアザラク B-page 12月30日公開
監督 : 太一
出演 : 近野成美 、 高木りな 、 秋山莉奈 、 柳沢なな 、 梅津詩音 、 野村宏伸 、 IZAM 、 篠井英介

公式サイト
URL= http://www.ekoeko.jp/

単館上映?
渋谷シネ・ラ・セットのみ上映確認。
渋谷シネ・ラ・セット
URL= http://www.cqn.co.jp/THEATER/lasept/index.html

近野成美プロフィール
URL= http://www.avexnet.or.jp/talent/konno/index.html

伊藤裕子公式ブログ
URL= http://blog.pistia.jp/yukoito/

虎牙光揮公式サイト
URL= http://www.3ae.jp/mitsuki.html

IZAM公式サイト
URL= http://www.izamania.net/

篠井英介プロフィール
URL= http://www.duncan.co.jp/profile/sasai_eisuke.html

高木りなプロフィール
URL= http://www.sweet.jp/person/rina/

秋山莉奈プロフィール
URL= http://www.kirinpro.co.jp/cgi/list/ladies.cgi?id=1070&mode=show

柳沢ななプロフィール
URL= http://www.sunmusic.org/production/nana_yanagisawa.htm

梅津詩音プロフィール
未確認

野村宏伸プロフィール
URL= http://www.jvc-entertainment.jp/talent/nomura_hironobu/m.htm

「パプリカ」小説版インプレッション&映画版インプレッション2nd

 原作小説(新潮文庫)を読んで、映画を見た後のモヤモヤは解消した。

 映画は精一杯、原作の奇妙な世界を表現しているし、的はずれでもない。ただ素直に評せない大きな2点があったのだ。

 1つ目はあのスタイルのアニメでは解消しきれないと思う。端っから夢と現実が親和していて、だんだんと浸食されていく感じがあまり脅威に感じなかった。コレはアニメならではの出来事だと思う。小説では最初は分離している意識がだんだんと混濁していく様が面白いので、最初のビックリ感がなかったのが残念だ。

 2つ目はラストのオチである。オチと言うよりも、触れなかった部分だ。ただコレも小説の流れを読むと映画のストーリーラインでは表現しにくい。

 いよいよ現実と夢が混交して、建物が倒壊したり、氷室が死んでしまったりと被害が出るのだが、全てが無くなった後、小説では実被害の罰を現実世界で乾に与えて終わる。そして或る意味片棒を担いだ、時田と千葉についての罪と罰はどうなんだと思ったところで、第二部のチャプター27が出て、読者を煙に巻くのだが、映画では時田と千葉の結婚については分かるのだが、それ以外の情報が明らかでないので、あれだけの騒乱の始末が着かないままに終わっている。

 登場人物の設定が違うことや小説のエロチックな表現が使えなかったのは、公開条件や尺の関係などで許容範囲だと思うし、原作を知らなかったのだから引っかかりようがない。それに上手く取り込んでそれなりに消化していると思う。

 だが、この結末については別で、映画にはチャプター27を使うための前置きがないし、あの長さでは絡めようもない。でも私のモヤモヤを解消して貰うためには、他の手段でも良いから、乾と小山内の結末だけは付けて欲しかったのだ。

 総じて作画レベル、画面演出などに関しては本当に良くて、劇場で見ることをお奨めする。

 でも多分、原作を読んでない多くの人は、小説を読みたくなると思うのだ。特に2つ目のモヤモヤはたいていの人に出てくるのではないだろうか。

 それにしても、筒井康隆って本当に凄いなぁと改めて思った。特に好きだというわけではないけれど、侮っていたわけでもないけれども、小説を読み終えて、素直にそう思った。

 断筆を撤回してくれて良かった。

2006.12.06

パクリの件

 ココログのメンテが長大になったので公開が遅れてしまった。

 パクリは無くならない。それは良く分かる。

 学校のように公っぽいシステムでの知の伝達経路を無い、特に職人芸的、芸術的ものは、「よく師匠から盗んでナンボ」という言うような逸話があるように、パクってこそ伝達されるものだから、仕方ない部分があると思う。世界で類を見ないほど浸透している日本のマンガも、そのしがらみを抜けていけない。と言うより、無ければここまで発展はしなかったはずだ。ところが本来ならプロセス、手段系の事に限ってパクリが許されるのであれば著作権保護期間延長論者も納得するのだろうが、結果として出来た物も似てきてしまう。それは必然なのだ。

 ストーリーは流石に言い訳しにくいだろうが・・・

 従ってパクリに対して、制限がきつくなれば成るほど、この伝達が阻害され、新たな物をこの世に出す機運は低くなっていくだろう。

 だとすれば、やはり無制限の禁止は、自分には認められない事だ。でも、著作者と著作者が扶養している人に対しての恩恵は認めてやりたい。出来た物だけを搾取するようなことが噴飯物であるのは分かってくれるだろう。

 最近の著作権管理団体ってのはその出来た物だけを搾取するための団体に見えてしまうのだ。

 さて、この著作権侵害絡みでアニメ、マンガ関連で、最近、2件の話があった。

 その内の1つ「ゲド戦記」の件が決着した?らしい。

日刊スポーツの記事
URL= http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20061206-126496.html

 「ゲド戦記」の「テルーの唄」のパクリ騒動は一応の決着を見たが、この判断を最初からしていたのと今頃出したのでは印象が違う。すでに著作権切れの作品「こころ」実際に訴訟が起こったりはしない。だが、引用も多いし、なんだかんだで読んだことがある人も多いのではないだろうか?

 特に、詩のような短い文では(俳句や短歌では更に顕著だろうけれども)部分的にパクったつもりでも、実はほぼ全部というようなことがありうるし、今回のケースはまさにそんな感じだ。

 もう一つは松本零士の件だ。「銀河鉄道999」から星野鉄郎のセリフから槇原敬之がパクったと言われている。2行程度の長さの文だ。ここに書くとまた面倒なので書かない。

 これが、松本零士の心情でモットーのような物であり、講演会で度々使っていることばだという。

 これも著作権法から見れば立件は難しいだろう。

 何しろ、松本零士は槇原敬之が知っていることを証明しなくてはいけない。見てないことの証明は「悪魔の証明」になるので、困難というか無理だが、これもものすごく困難なことのように思う。20年以上前に、映画やテレビでアニメを放映していた時期の原作で有れば、ファンは多かったし、見た人も多いと思うが、続編であるこの部分は、ビッグコミックゴールドで連載、雑誌が休刊してしまった為にビッグコミックに移行し、その後、インターネット連載という形を取って(それでも現在休載中)、書きためた物を単行本化した物で、いったい何部出て、様々な人たちに目に触れたというのだろう?それとも講演会に槇原敬之が来ていたのだろうか?インターネットに公開していれば無限だという言い方も出来なくはないが、逐一視聴を確認しているならいざ知らずそんな体裁ではないんだから、どれも証明できまい。

 チャンと調べられなければ後は公知かどうかということだ。残念ながら今の松本零士にそれほどの魅力はない。

 それにこの件にはもう一つ気持ちの悪いことがある。

 松本零士の「男同士なんだから頭を下げて貰えれば・・・」(不正確)の件である。見ていないと主張しているのに頭を下げることは出来ないだろうし、こんな考え方をマンガの中だけでなく現代社会で当人がしていることに関して、ものすごく気持ちが悪いのだ。

 それに、槇原敬之ってたしか”彼”がいたことがあったはず。それを知ってか知らずか。逆襲に出た槇原敬之に松本零士側のコンタクトがあったという記事はニュースでは見かけない。一度上げた拳をコソッと引っ込めることこそ男らしくないのではないだろうか?
 自分の主義主張を掲げて出たならチャンとケジメを付けて貰いたいモノだ。

 それにしても知名度はある物の今のこの情けなさは何だろう。漫画家なら作品で、うならせて欲しい物だが。

 今日話したのはコンテンツコピーなどとはまた別の話だ。

窓辺の灯り

 先日灯りの話を書いたがこの季節、気になる灯りがある。

 クリスマスのイルミネーションだ。町中で見る分には良いのだが、自宅に飾り付ける人が増えて、これに辟易している。

 好きでやっているのだろう。私も嫌いではない。ただ、23時以降早朝4時、5時までやることはないジャン。わざわざ選択して住んでいる喧騒離れた住宅地でコレを見るのはご勘弁願いたいものだ。・・・それですら部屋の中でやる分には止めたりはしないのだが。下手するとこのシーズン以外も外でやっているしなぁ。

 今の住まいはそう言う影響はないが、以前、寝室の目の前の部屋がそれをやっていたことがあって朝までチカチカしてかなわなかった。

 誰も見ていないと言うより私しか見ていないイルミネーションに電力を費やして貰っているのも申し訳ないが、地球環境に良い(笑)方法を選択して節度をわきまえて欲しい。

 ああ、コレも欧米(主に米だろうけど)から来た話だよなぁ。

 分かってないのか(笑)

2006.12.05

PLUTO 004 12月26日発売

 発売日が12月26日と決定したらしくAmazonの予約に上がってきた。暮れも暮れになってからだなぁ。インプレッションが年内に間に合うかどうか。

 こんな情報を何でかというと知り合いのためだ。あと、結構このキーワードのアクセスが多いから(笑)

 先日某の打ち合わせした時もその話で、

「いつ出るんだ」

とのことだったので自分用にもメモ。豪華版は今回はラインナップに無いようだけど・・・ネタも無いよなぁもう。

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