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2007.05.23

グレンラガン第一部インプレッション

 感想を毎回書くつもりだったんだけど、どうも書けない。

 話が面白くないわけでもない。作画水準も高い。毎回ちゃんと見てる。でも8話も感想を書こうと2度見返したのだが、何となくピンとこないのだ。インプレッションを書くほどの気持ちは湧き上がらない。

#5「俺にはさっぱり判らねえ!」
#6「てめら全員湯あたりしやがれ!!」
#7「それはお前がやるんだよ!」
#8「あばよ、ダチ公」

 何らかの事情があった6話(DVDにはDVD版6話とTV放送版6話の両方が入るそうだ)以外はトラブルもなく、話としてもお膳立てである仲間というかキャラ集めに終始した7話までの総括、第8話は1~3話以来の作画の良さできれいにまとまった感じがする。

 だが、個人的にはこの話の結果は先週の予告編段階で二択になってしまい、「感動せずには居られない話にしますよ」と押しつけがましい感じもしてどうにもこうにもつまらない。

 パーツとしてはどっかで見た記号だらけの話だなぁと思いながら見ていた。確かにオマージュいっぱい路線は、パクリいっぱい路線と紙一重(と言うか取りようひとつ)だとはいえそれは選択の一つ。大きな問題でもない。ずいぶん前の話だがテレビ版の「ガオガイガー」の時にもそう思っていた。でもあのときはものすごく好きな方に気持ちが傾いていたのに今回は全然そういう気持ちが起こらない。何でだろうと思いながら、眺めている感じなってしまっていた。

 確かに主人公3人組だと思っていた1人が話の道程の三分の一のところで消えて・・・と言う話は衝撃的で燃える展開かもしれないが、意外な選択でもないし、いかにもな"お涙ちょうだい"に感じて仕方がないものだから、制作ブログのコメント欄の感動したという人たちの語り口もネタにしか思えなくって、私の気持ちは置いてけぼりだ。

 自分が間違いなく冷めてるなぁと思ったのはやはりカミナの最後のシーン。「あしたのジョー2」を思わせる止め絵っぽい処理のところだ。「グレンラガン」を作る際に、「あしたのジョー2」を意識した発言を見た。確かに第1話にも意識したシーンをネタとしてやっている。読者にゆだねるジョーの真っ白に燃え尽きたシーンは名シーンで「あしたのジョー」を読んだり見ていてあのシーンが来るとグッとくるのは今も変わらない。だが、発表以降あのシーンは散々パロディにされすぎていて、オリジナルでないとそのことも一緒に思い返してしまうというか、またそういうネタかと思ってしまうのだ。自分はあそこで完全に気分が殺がれてしまった。

 で、結局、自分で行き着いたのが、俺って「グレンラガン」が元々好きではなかったんじゃないかと言うことだ。巨大ロボものに特別な思いがあることが邪魔しているのかもしれないが、今はそれくらいしか思いつかない。

 もしかしたら26話までの間に自分のスイッチが入って、ひっくり返すようなことがあるかもしれないが、とりあえず定期のインプレッションができそうにないので、気乗りしたらまた感想を書いていこうと思う。

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