「旧怪談」インプレッション
最初に断っておくが、このエントリーは「旧怪談」<ふるいかいだん>の書評ではなく「旧怪談」と言う物の周りで起こった事についてのインプレッションだ。
ちょっと前に東雅夫が編んだ「手のひら怪談」を読んだ。二版以降についた京極夏彦の「玉石混淆」という表現は言い得て妙で、しかし同時に「玉」だけでもこの本の面白さは出なかったのではないかと思ったのだ。個別の作品へのコメントはいずれ何かの形で作りたいのだが、これも前置きである。
私は怖い話は苦手であるが怪しい話や妖しい話、変わった話は大好きなので、書店で「手のひら怪談」を見つけて早速購入して読み始めた。自分に合った物やら物足りない物含めて読み進めて喜んでいた。一つだけ困ったなと思ったのは装幀、表紙紙のセレクションだった。普通に思い浮かべる"ハード"カバーと言うほどではないのだが、新書のような厚紙一枚ではないので、持ちにくかったのだ。
レンガ本ほどではないが満員電車では手が滑るかもなぁと思っていたのだ。
読み進めてどこを読んでいたのかは覚えていないが、ちょっと悪寒を感じたので、そのまま最寄り駅までうとうととしていたのだ。降りて家路を急ぐと「はて、何となく手持ち無沙汰な・・・」果たして手に持っていたつもりの「手のひら怪談」は消えていた。
まだ途中までしか読んでいなかったので、落胆した。
いや、しかし、拾った人は中が怪談であったれば、私より肝を冷やしたに違いない。
しばらくして、個別の書評もちゃんとやらねばともう一冊買った。これは今もちゃんと手元にある。やたらめったら付箋が貼ってあるので、これを落とすと拾う人は以前よりさらに肝を冷やすに違いない。
さて昨日「旧怪談」を買い求めた。耳袋を現代語に書き改めた本だが良い味があって大人でも楽しめる。大きさも手頃で「稲生見聞録」が入っていたり、見聞きしたことのある怪談が入っているのも面白かった。たまたまAmazonのおまけで革製のしおりを手にしていたから、適時しおりを動かして、気がつけば中程過ぎまで読んでいた。
ただ、今日はうとうともしていなかったのに、知らぬ間にそのしおりが消えていたのである。ただ挟むだけでなく、クリップのように本に留めてから革製のスピンでページを仕切る物だったのにだ。
そのとき思い出した。
最初に無くした「手のひら怪談」の最後に読んだ話は「身代わりストラップ」の話だったことを。
その瞬間、総毛立った。にぎやかな街の中でこれほど肝を冷やしたのも久しぶりの話だ。
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