「電脳コイル」のまとめ
総括というわけではないけど「電脳コイル」ファンとしての整理かな。
最初見始めたときには面白い題材の"作画アニメ"を見るつもりだった。だから本当にこんな物語を見ることになろうとは思っていなかったのだ。
「電脳コイル」のフォーマットは電脳世界を異空間に仕立てた、神隠しとか怪談、劇中でも出てくるけど都市伝説に見ることが出来る。ただ、それは枠組みとしてのもので、雛形として参照したものにも人情物があったりする訳だ。本質はそちらにあったわけだ。
「電脳コイル」は人と人の結びつきの物語だった。小学生を主人公にしてはいるけど色んな人たちの有り様を描いている。最後は口に出していっていたけれど各々の立場に対する人のつながり・・・「細い道」が描かれた物語だったと思う。
親子、家族、友達、恋心を抱いた者、ペット、そして対峙者。
そうやって思い返すと本当に色んな仕掛けがちりばめられていたことが分かる。
気持ちを伝えずに消えたカンナに対するハラケンの電脳空間の道筋を探す課程で入り組んだ路地等を通っていく姿は細い道をつなごうとするまさにそういう行為のメタファーだったのだと思い知らされる。ヤサコが道によく迷う子であることは人間関係に迷いやすいこと、デンパもそうだけど電脳空間の音を聞き分けて古い空間を探す事が出来るというのも一種の「空気が読める」力があること、そういったことに引っかけた仕掛けなのだ。
今になってみれば、なんてこともなかったいきものとしてのイリーガルの話ですら、その一端を担っていたことがよく分かる。ヒゲイリーガルは新天地を探して飛んでいったけど、それも居場所について描いているのだ。それはやはり人間側の気持ちの代弁でもあるのだろう。
そういった心情的なもの、事実としてとりまとめるための伏線を最終回に向けて収斂していく手際にはただのアニメーターではなくストーリーテラーとしての監督の力量に恐れ入った。
「電脳コイル」は大人になることを「痛み」だと言った。猫目のように道を間違って追われる羽目になった大人も描いた。決して煌びやかな明るい未来を提示したわけでもなく、むしろ大人は辛いんだと言っている。
そして、それでも、たとえそうでも、人は大人にならないといけないのだと。
だから最後に大人びてキョウコが答えるシーンで終わるのにはとても意味があるように思えた。(もちろんメガネ無しなのに見えた事にも意味はあるんだろうけど)
P.S. "暗い"と言うより"重い"印象の主題歌を聞き直すと色んな事を見えてくる。最初にどれほどの情報量が与えられたのか分からないが、見事に色んな情報が入っているのだ。まだの人は是非、一聴のほどを。
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