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2009.07.23

金田伊功逝く

 ふと拳を握り手首を曲げ、高く掲げてみる。

 何が面白かったのかなと思う。

 ピカッと光る。

 光の軌跡があんな風に曲がるわけない。

 末端肥大症で、がに股立ちの巨大ロボ。

 設定資料とは全然違う、判別不能なキャラの顔。

 ほとばしるとただの雑線が描かれているようにしか見えない作画。

 でも好きだったのだ。アニメでしか得られない楽しさがそこにあったのだ。

 多分、最初に名前を覚えたアニメーター金田伊功。

 「大空魔竜ガイキング」の時に覚えた。

 そして彼はもういない。

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アニメ・コミック」カテゴリの記事

コメント

 魚眼レンズがデフォなのか(笑)

 ちょっと意味合いは違うけど、パースというかカメラの視点を持った構図と言うのはあるかも知れないね。もっとも枚数を少なくせざる得ないテレビアニメで画面のメリハリを付けるためには?と言ったところからその手法を編み出したという話もあるけど。

 アニメーターはその時代の人の中では割と絵の巧い人たちが多いけど、空間を把握してカメラを意識した人は今ほど多くはなかったし、その先鞭を付けたと言う感じなんだろうね。

 だから多くの有名なフォロワーも居て、租借してもっと巧い人たちが生まれてきたんだろうね。そういう意味ではアニメにとってとても重要なポイントを作った人だったんだよ。

オレがセミフィッシュアイ好きなのと似てんのかな?違うのかな?

とりあえずビデオカメラには常に着けてます。

 「お化け」見に行っていたので、遅くて申し訳ないッス。

 今、違うのかと言われたら同じじゃないかな?(笑)

 たぶん、洗礼を受けてない人がアニオタフォースとか2ちゃん系のまとめサイトで動画見てもあまりピンと来ないと思うんだ。

 特に「パース」と言う切り口から見ると、オーバーパース(手前側が少し広がったパース。絵なんかだと綺麗に定規の消失点を引くよりもオーバーパースの方がリアリティがあったりする)を多用する印象はあるけれども、その手法自体あまり珍しい訳じゃない。

 そのオーバーパースが何で存在するかと言ったら、古い僕らからするとAプロダクション(東京ムービーの初期作品の要プロダクション)のマンガ映画的破天荒アクションを活かすための道具なんだよね。そこに独自の記号的表現を主に輝きの表現や持ち込んで独自のスタイルにしていた。

 いかにもアニメ的で他でやると妙にしか見えないから、それがアニメを見る楽しさに変換されていたんだろうね。

 とりとめがないけど。

 80年代から90年代のアニメファンやアニメーターに指示されていたのは間違いない。手法としては現在ではさして珍しくない。むしろ彼よりもこの辺りを上手く使える金田フォロワーが多くいて、今も活躍している。

 だから、いなければこういうアニメの作画の歴史にはなってなかったかも知れないと言うくらいには影響力があったはず。たかがアニメーターだけど、フォロワーが出るようなアニメーターが節目節目で現れてきて、それが色んな下支えをして、金田さんはその一人というだけなんだけどね。

 オレが言えるのはそんなところかな?

 アニメ詳しくないんで(笑)

その金田パースとそうじゃないパースってどんな風に違うの?

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