「がらっぱの夏」
Y'sProducts発行「晦」<かい>掲載再録
「がらっぱの夏」 安史和尚<あんしかずなお>
さて、今もそうだと言えばそうなのだが、私は昔、好奇心旺盛な子供だった。どうでも良いようなことでも何でも聞いて回る、故に大人からすれば疎ましい存在だったかもしれない。ブルース・ウィルスの映画ではないが、今、目の前に子供の私が居たら私は相当嫌っているに違いない。そんな理知(インフォメーション)を追い求める一方で、叱られるときは、まだ「お前は、よその子で橋の下から拾ってきた」などと、今はちょっと通じないのではないかというような話で親に牽制されて、そう言うことを結構鵜呑みにするような子供でもあったのだ。
まぁそう言う話も含めて、私は「聞きたがり屋」だったし、周りの大人もなんだかんだと言って話をするのが好きだった様な気がする。私が聞き回ったからなのか、色々と昔の話などをしてくれたものだ。
例えば、夏の終戦忌念日だか記念日だか知らないが、あの時分はもちろん、それ以外の時も太平洋戦争を経験した親からは戦争体験、例えば「グラマンに追いかけられて、コックピットでヤンキーがニヤリと笑ったのが見えて怖かった。」とか疎開時の恐ろしい話も聞いたものだ。他に笑い話のような物では破天荒な伯父さんの今なら確実に犯罪になりそうな悪戯の話も良く聞かされたものだ。
さて、我が家に限らず、幼年期の頃までは子供が親と風呂に入る習慣を持つ家庭は多いだろう。そこで私はずうっと不思議なことがあった。私の親父の尻には肉がえぐられたよう成っている跡がある。知らない人が見たらかなり痛々しい。もちろん子供の私は万人の尻を知っているわけではないが、明らかにおかしいと思っていたし、痛くないのかと心配だったのだ。その尻を私は湯船につからせられ、指折り数えながら眺めていた。
何度か同じ事をしたのだとは思う。風呂から上がり、飯の前にその傷について問うと親父はこんな話をし出したのだ。それは・・・
・
まだ太平洋戦争も訪れていない夏休み、その日も暑かった。話を聞いている私と同じ年ぐらいの父はいつものように近所の子と連れだって港へ向かった。
父にはもう高等中学に入ろうかという長兄と、姉、小学校高学年の近所で有名な悪戯坊主の次兄、弟が二人と妹が一人の兄弟姉妹の三男坊だった。
父の父親、すなわち私の祖父は商売人で住まいから離れた場所に何人か職人を抱えて店を構えていたが、父自身は生まれ育ったところが、南国の港町で近隣でも有数の漁港だったため、生まれてこの方、海で遊ぶ事に関しては潤沢な環境にいたし、大好きだった。要はやんちゃな小僧だったのだ。自宅からすぐの漁港には鮪や鰹が上がっていたし、日本でもかなりの水揚げ高を持っていて活気有る町だった。
だが、皆で出かける頃には競りも終わり、人通りが無く、ジリジリと照りつけ始めた太陽光と少し離れた山から聞こえるセミの声と潮の臭いだけが風景を染めていた。
その町を小走りに父を交えた子供の集団が抜けて行った。干物屋・・・と言うか干物製造兼販売所も並んでいて、軒先に天日干しの鯵のひらきがプーンと香っていた。ちょうどその一軒から若い男が出てきた。
「風夫ぉ、何処行くとか?」
町の殆どの人間が顔見知りだった。干物屋のおじさん・・・いや、二十代後半なのだが小学生の父には、おじさんにしか見えなかった・・・が声を掛ける。父は振り向いて、大声で答えた。
「裕二んとこ。」
名字もなく、名前だけだったが、そう言われれば、町の人間には何処に行くか分かると言ったほど町は小さかった。小学校高学年の次兄の友でもある裕二の家は港の入り口の赤灯台の側にある。その赤灯台は岸壁釣りのポイントでもあった。本人はごまかしたつもりだったかもしれないが、当初の行き先が割れた上に群れた子供は手製の釣り竿持って居たので、本来の行き先は乾物屋のおじさんには何処か、すぐに分かった。すかさずいつものやり取りになる。
「海に入んな。(海に入るなよ)」
「分かっちょって。」
「がらっぱに尻の子(しんのこ=尻子玉)取らるっど」
「たばかんな。(うそをつくな)」
「ホントやっど。(本当だぞ)」
おじさんの声は追いかけたが、父達は走っていってしまった。
「がらっぱ」とは河童の一種である。南九州の一角のこの町でそう呼ばれているのだが、同じ呼び名が九州で散見される。私が知るところでは鹿児島の川内でやはり河童を「がらっぱ」と言う。有名な祭りもあるようだ。一種というのは全国各地の河童と思われる其れ其れが様々な形態や性質を持ち名前を持つものらしいからだ。
そう言えば、タヌキなどもそうだ。むじなもタヌキも同じ物と思えるだろうが、それぞれはやはり別な名前が与えられた事情があるのだろう。微妙に性格を異にしている。
河童とならば、例えば割と有名な妖怪であると思われる「ひょうすべ」という河童の仲間が居る。九州南部、宮崎県高鍋等に住むと云うこれも、河童と似た構成要素を持つが、伝聞された風貌や振る舞いはかなり異質だ。猫のような顔で皿も甲羅も無い様に姿に見受けられる。コレまた全然関係ない「水虎」の異称だと言う話もあるが、水虎というのは多くは姿の見えない妖怪なので比べようがない。
いや、「ひょうすべ」は置いておこう。問題は「がらっぱ」だ。
先に述べたように「がらっぱ」は大別して河童であるが、何故かこの土地では、海にも出る。海にも出ると言うよりは海にしか出ないのだ。少なくとも父は川でがらっぱが出るとは聞いたことがなかった。
冷静に考えれば、それは大人達の海の事故に対する子供達を守ろうとする方便だったのだろう。例えば父の目指す赤灯台の辺りは潮の流れが入り組んでいて、それが故に良い釣りポイントでもあるが、同時に泳ぎには全く不向きどころか、年間一人ぐらいは波にさらわれて帰らぬ人になるところで、本当に子供には危険な場所であったのだ。
だが子供と言うものはそんなことは聞きはしない。価値基準が違うのだ。そこで大人達は「がらっぱ」の話を持ち出してきた訳だったのだろう。妖怪は大人にも子供にも少なからず有効な手段だった。
さて、港の周辺はその当時では珍しいコンクリートの舗装道路だった。乾物屋のおじさんが見送った後ろ姿は、次第に暖まりかげろうがたち上り始めた、路面の中に消えた。
「全く・・・」
乾物屋のおじさんは「仕方ねェなぁ」と言うような顔で見送った。
父達は裕二の家へ着き、裕二を呼びだし、連れだって赤灯台に向かった。
赤灯台に着くとそれぞれ思い思いに準備を始める。前もって捕まえた虫やミミズを餌に岸壁から釣り糸をたれる。中には防波堤の上によじ上って外海に糸を垂れる者も居た。取りあえずは釣りの体裁を整えていた。ところが子供である。しばらくはおとなしくしているのだが、釣れないと、だんだんと他に興味が行きはじめる。飛沫のかかる海辺の岩の上に移ったり、他のことをして遊びだす。太陽が頂点にさしかかり、いよいよ気温も上がって麦わら帽子でも凌げなくなってくると、ますます水遊びが恋しくなってくる。そうなるともう親の小言や、「がらっぱ」の事など忘れてしまっていた。
「あ、ずりぃ~が。(あ、ずるいじゃないか)」
釣れなくて苛立っていた父が叫んだ。
「お前も来んとか。(お前も来ないのか)」
兄貴分である裕二が小舟を持ってきた。裕二の父親は漁師で、小舟を家の前の岸壁に置いていたのである。いや他の友達もかなりの面々が父親が漁師だったから、めずらしい事ではない。裕二は手慣れた様子で小舟を家の前から漕いできたのだ。釣りのポイントを少しでも良いところに変えたい、浅はかな考えだったのだろうが、父にはうらやましく思えた。父も釣れないがシャクだったのか、釣り竿を小舟に投げ、その小舟に飛び乗ろうと岸壁からジャンプした。
竿を要領よく舟に投げ込んだ父は濡れても良いように服を脱いで、パンツ一丁で岸壁から飛んだ。そのころの外海に接するような港には、まだ汚泥もなく、結構良く飛び込んでいたのだ。足先から水に落ち、裕二の舟に泳いでいく。そのときだった。
父はイヤな感じがした。自分の下に何か冷たい物が迫ってくる感じがしたのだ。岸壁から舟までほんの二メートルくらいのものだ。海で育った父には造作もない距離だった・・・はずだったのだ。しかし、水に入ってすぐにそのイヤな感じがした。なぜだか分からない。そして、その次の瞬間、ぐっと左足をつかまれ、一気に水の中に引き込まれた。父の頭によぎった。
「がらっぱだ!」
自分の親や近所のおじさんに聞いた、がらっぱの容貌が思い出される。父は恐らく生まれてこの方、最も焦って、もがいた。
「尻の子を取らるっ。」
正直言って「尻の子」が何なのか、父にはわからなかった。が、とにかく一大事である。もがいてもがいて、とにかく、無我夢中だったのだ。
どれくらい経ったのだろう。まだ日は高く、そんなに時間がったったようには思えなかったが、父は気が付いた舟の上で果てしない旅から帰ってきたような錯覚をした。もしかしたら水を飲んだりしていたのかも知れないが、その処置も終わっていたのだろう。咳き込むこともなくパンツと右足の草履だけを付けて舟の上に寝ころんでいた。心配そうな裕二たちが見守る中、服を羽織って、片足の草履に裸足で、トボトボと帰路についた。怖かった。実感としては放心しているに近いのだが、同時に声を発せられない怖さがあった。自分はもしかしたら尻の子を取られ、もし声を発したとき、自分の声が変わっていたら、自分が変わってしまった証を得てしまうのではないかと・・・。裕二たちも気まずそうにしていて声を掛けなかったのである・・・。
帰り道、朝方の乾物屋のおじさんが声を掛けたが、今度は一瞥もくれず、父はその前を通り過ぎた。
家に着き、様子をうかがうと、母親は買い物に出かけてしまったのか、居る様子がなかった。妹や弟も気配が無い。怒られずに済むと思った反面、ひどく恐ろしい場所に見えた。と思ったら少し日が陰った居間の中からヌッと影がせり出してきた。父は息をのんだ。
「風夫か。なんしょっとかぁ。(何をしてるんだ)」
二つ違いの次兄だった。肉親の顔を見て、父ははじめてホッとした。
「うん」
答えにならない声を発して、父は風呂場の方に行き、濡れて半乾きになった下着と草履を洗った。染みついた潮の臭いが、がらっぱのそれに思えて・・・ゴシゴシと洗った。こんな恐ろしいことは二度と有って欲しくないと自分の記憶から消去するかのごと、祈るような気持ちで洗ったのだ。
父が小学校三年の夏の話である。
そして親父はこの尻の傷は「がらっぱ」が尻の子を取りそねた跡だと、笑って私に教えてくれた。その日から私は、港内を泳ぐがらっぱの絵を頭に描くようになった。そして今もあの港には確かにがらっぱが住んでいるのである。
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