メディアが間違いを助長する
以前、グラフの間違いの話をした。ちょうど去年の今頃だ。基本的に単純な数字のx軸y軸のグラフなら、
1.折れ線は変化、変化率を見るための物
2.棒グラフは量を見るためもの
3.当然目盛りは均一であること
4.棒グラフでは波線を用いた省略は、使わない。
5.棒グラフでは原点を含むように作図
位は守りたいものだ。単位の書き位置や目盛りを内側に打つのか外側に打つのか、枠で囲むのかどうかとか、は学会の慣習なんかで書き方が違ったりするので大目に見るとしても。
以前、グラフの間違いの話をした。ちょうど去年の今頃だ。基本的に単純な数字のx軸y軸のグラフなら、
1.折れ線は変化、変化率を見るための物
2.棒グラフは量を見るためもの
3.当然目盛りは均一であること
4.棒グラフでは波線を用いた省略は、使わない。
5.棒グラフでは原点を含むように作図
位は守りたいものだ。単位の書き位置や目盛りを内側に打つのか外側に打つのか、枠で囲むのかどうかとか、は学会の慣習なんかで書き方が違ったりするので大目に見るとしても。
日本製紙社長が年賀はがきの古紙配合率を偽った件を受けて、辞任するらしい。
毎日.jpの記事
URL= http://mainichi.jp/select/today/news/20080117k0000m040097000c.html
この件については偽装であり、契約不履行で、しかも国の購入物についてはグリーン購入法という法律があるからその違反でもある。だから糾弾されて社長辞任しても何らかまわないのだが、まだ一般の人には古紙のリサイクル幻想があるんだなと思った。
もう何年か前、リバイバル曲のヒットが目立った時期があった。
普段は明晰な分析能力でデータの検証をしながら話をするとある教授と酒席を同じにしたときに、その教授がこの話を始めたのだ。すると、彼の結論は「昔は良い曲が多かった」からというもので、ひどくガッカリしたことがある。
全然、科学的ではない。
こういう曲がこの世に出る課程は自然現象ではないから何かの制約条件がごまんとある。たとえば、販売という目的がある以上は恣意的に選曲されていくだろうし、レコードとして発売されるようになって、100年ちょい、こんなに音楽が大量に売れるようになったのはそれこそ第二次大戦の後になるだろうという時代背景もある。
そんな実は短期間の中においても流行廃りがあって、過去もっとも力強かった演歌は今は売り上げでは見る影もないような有様だ。
しかも、リバイバルしてる曲は昔の曲であるかも知れないが、昔に”流行った”曲であることも考慮しなくてはならないのだがそういうことも忘れてしまっている。昔売れなかった曲も今良い曲とされるのかとかね。
統計上の分析をするときには知らない内にいくつものフィルタがかかっていることを忘れてはならない。
普通のオヤジの話なら別段気にもとめなかったんだけど、工学部教授がこれではなぁというか、専門外にはそういう能力が働かないのかも知れないが。
音楽ヒットの要素といって「1/fのゆらぎ」の話を思い出した。「ファジー」が流行っていた頃だと思う。今、この話を持ち出すのはちょっと怪しめのセラピストぐらいじゃないかと思っているけど、あれも、ヒット曲には「1/fになっている物が多い」という話だったけど、総楽曲に対する1/fの確認できる楽曲数といった母集団情報や基本的な情報が欠落している。脳のアルファー波にあっては因果が逆になっているし。
ようやく新聞でマイナスイオンの批判が載るようになった。今までは広告主の意向に刃向かう禁忌名記事だったのかも知れないが、存在しない物を存在するように書くのは詐欺だと思うんだけど、そういった物がちらとでも出てくるようになったのは、逆説的な「あるある」効果何だろうなぁ。
それじゃ高濃度カテキンや同時接種のカフェイン方の副作用についての疑念解消もしてほしい。花王「へルシア」のヒット以来、お茶で、色々摂取させようとするトクホ商品が多いのだけれでも・・・ポリフェノールの効用を医学会などでまともに検証して望むような結果が出てる実験ってほとんど無いのだけれどなぁ。
普通に信じてるアントシアニンの効用、ブルーベリーとか食べると目に良いってのもものすごい眉唾なんだけどなぁ。まぁ負の効用が少なくて馬家りゃそれで良いんだけど。
まぁそういうこと考えてると商売ってのはやっぱり一種の詐欺で、その度合いが軽いか重いじゃないかっていう風にも思っちゃう。説得も言いくるめると言い換えるとうさんくささ倍増だし(笑)見えない境界線があるだけか。
だますならもっと巧妙に永遠にだまし続けてほしいなぁ(笑)
適当なカテゴリー名も考えなくっちゃね。
都市伝説というのがある。
単なる噂、迷信とどう違うのかイマイチ良く理解していないが、その中にマクドナルドのハンバーガーパティはミミズが原料だとか野良猫が原料だとか言うのがある。
子供の頃、コレを信じているのは仕方がないかも知れない。おもしろがったりしてと言うのもあるんだろうが、少し知恵があっても、ミミズに至ってはミミズを使って食用蛋白源にするなんて言う一種の詐欺商法があったり、マジメに研究してた人もいるのでそう言う横っちょの知識でそう思いこんでも仕方なかったろうし、たまさか野良猫が多いところに住んでいた人は牛の肥育のことよりも野良猫の多さの方に気が取られていて、知識の欠落に気が付かなくても仕方がないのかも知れないと思う。
しかし、勤め人や商売人になったら別だと思う。知り合いに未だにこのことをネタのつもりか、本当に信じているのか毎度のように持ち出す人がいる。それにまたかと、辟易しているのだが、それを話したいわけではない。
上のことは少なくとも現状では、牛の肥育から肉を得る方がコストがかからない。だからマクドナルドは宗教上の問題などで牛肉を食べない地域以外はコストの安い牛肉をつかってパティを提供している。ただそれだけのことだ。
安全衛生上の問題として、何か問題があるというのならそれは別の問題だ。それは不二家の話と同じ考え方で解決すればいい。
気になるのはそう言うことをもうちょっと考えてみようとするかしないか。詳しい人に確認しようとするかしないか。そう言うところだ。
そう言えば私の小学校の時の教師に、カップヌードルの中の肉は石油からできたものだと教えてくれた人がいた。あの時期、もうすでに松本零士がSFで合成肉の話を書いていたような気がするが、その辺の受け売りだろうか?
香料や着色料には未だに許可された物の中でも、石油由来の物がある。コレは事実なのだが、流石に肉はなぁ。作るにしても他の物からの方が安そうなんだが。
コレもまた都市伝説かも知れないが、代替食品として混ぜ物をしている物が多いのも事実。植物油はミルクのポーションや偽イクラの中身で未だに現役だし、コンビニのおにぎりだって製造工程観たら、食えなくなる人が出ても仕方がないもんなぁ。
とはいえ、こんなレベルのリテラシの人、少なくはないのだ。ちょっと聞くとか調べるとかが出来ない。言葉の意味が分からなくても辞書すら調べない。大卒で、良い会社に入ってる人でも本当に多い。実際ビックリするくらい居る。ネットでよく見かける教えて君はまだましな方だ。
すると有識者がよく言う「テレビのねつ造を乗ってみせるのが大人の遊びだ」なんてやっぱり思えない。でも救う方法も良く分からないんだけれども。
Wikipedia 「都市伝説」(ああ、そんな話し合ったなぁという感じ)
URL= http://ja.wikipedia.org/wiki/都市伝説
(2008.11.10 誤字修正)
「あるある大辞典」の納豆効用のねつ造で、労基法違反などの隠蔽とか、テレビ局側にまだ、痛い腹はあるのだろう。
しかし、それはさておき、ちょっと前の記事でメディアリテラシに関して、私は「無理なこと言うなよ」というスタンスだったが一点だけコレは、持っておいた方が良いと思うものがあったので書いておこう。
それは「学力」だ。ただ、別に満点取る「学力」がいるわけではない。
不二家の件でISOのことが出ている記事は公開期限が切れた物ばかりでネットではキャッシュでしか確認できないような有様だが、経産大臣および経産政務次官(官僚のトップ)がJABにISOの審査に関して見直せと指示を出しているようだ。
前の記事に書いたが、今分かる情報だけで判断すると、最初に問題だった埼玉工場はISO14001の認証登録は行っているがISO9001の登録対象ではない。事件が発覚してから認証取り消しがあったわけでもない。
経産大臣及び政務次官には事実誤認があるか拡大解釈しすぎだ。
そもそも、登録範囲から外れた場合はISOを他の部門が認証登録していてもそこだけは別物として扱うのが筋。そう言う詐欺まがいの宣伝をしたり、取引先に嘘を付くような会社が東南アジアなどで後を絶たないために、規格や運用の決まりを見直したぐらいなのだから。
確かに、ここ最近一気に広まってしまったために、審査員レベルが下がっているところは多い。審査の質に問題があるところもあるのも確かなのだが、(登録範囲外を)審査していないなんて筋違いな話しは無しにして欲しい。妥当な審査が出来ていないならそこを見直せと言うのは分かるのだが、そもそも対象でない物を見ろというのは・・・変な話しだ。
ISO9001では本社の特定部署と神奈川県内の複数の工場が登録対象だが、埼玉工場は違うのだ。
食品衛生法を破ったなら法令で罰せばいい。それはISO9001の登録制度の所為ではないのだから。
記事を見返してみると、ISO14001に対応したマネジメントシステムで維持管理なのか目標管理なのか廃棄物の基準を決めて、その基準を超えては成らないから消費期限を越えたものを製品に使ったとしている。超えたら是正計画を立て、実行しなくてはいけないのでそれが面倒だというわけだ。
コレはやった人間にも問題はあるが仕組みというか是正のものの考え方がおかしい。
コレの問題点、原因は「需要予測が出来ていない」「材料の購入しすぎ」が問題になるはずで、製造だけの責任ではなかったはずだ。役員の担当を確認していないが、営業のトップや製造のトップに変に力が偏っていたのではと思ってしまう。もしそう言うことで有れば規格が求めている(権限や責任、能力といった)人的部分を含む資源のコミットメントが守られていないわけで、コレはとりもなおさず、会社の経営層が規格に不適合と言えよう。
審査の時にこの点が不適合に上がっていないか、その辺は興味がある。
「あるある大辞典2」のねつ造事件は盛り上がっている。
あんまり見ないんだけど、たまたまこの回は見ていた。見るからに「そんな馬鹿な」と思っていたが、翌日はスーパーから納豆が消えていて(オレの朝ご飯をどうするんだってな感じ)驚いた。
オタキングの岡田氏もブログでこの件を書いていた。
岡田斗志夫のプチクリ日記 納豆が消えた夜
URL= http://putikuri.way-nifty.com/blog/2007/01/post_10fb.html
たしかにウソだと思っていてもやってしまうところに納豆ならではのポイントもあったと思うんだが・・・イヤ今現在もこの件はスルーしても全然かまわないのだが、下記リンクの記事を見てちょっと書いておかなきゃと思ったのだ。リンク先が消えると行けないので記事を一部引用する。
MainichiInteractiveの記事「クローズアップ2007:「納豆ダイエット」ねつ造 真実よりも視聴率」から引用
URL= http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/closeup/archive/news/2007/01/20070121ddn003040022000c.html
◇受け手にも問題--黒田勇・関西大教授(メディア文化論)の話
テレビの送り手と受け手の双方に問題があると思う。バラエティーとニュース、ワイドショーが融合し、事実をエンターテインメントとして加工してもいいんだという意識が出てきているのではないか。生活情報番組をうのみにし、健康が買えると思う受け手に付け込んで番組が作られる。共犯関係にある。
ブログをざっと閲覧していても、こういうヤな感じが一連の流れの中で起き始めている。ねつ造糾弾フェーズが浸透していく、加熱しすぎという中で揺り戻しのように「視聴者も悪い」と言い出す人がいるのだ。コレは別にこの話に限ったことではなくてイジメとかもそう。「いじめられる方も悪い」なんてのは散々書かれてるような気がする。
同一の比較対照で有るが故に陥りやすいことなのだが、視聴者の悪い部分と放送側の悪い部分は同列で語れない項目なのに一緒くたにしてしまう。それを大学教授などがしたり顔で言ったりすると”専門が何であれ”権威が付き箔が付き一人歩きしてしまうのだ。
もし今の議論を混乱させてうやむやにするならずる賢い手段と言わざる得ないだろう。
以前、「『テレビの嘘を見破る』を見破ろう」という記事を書いたが、このときと同じような感覚で今もテレビが作られているならばこういう事は頻繁に起きるはずで、無くなりはしない。テレビは全てウソであるとでもしなくては、見る側は防衛できないのだ。
過剰な情報量により、実際は選別しにくい情報になって、現在、必要なメディアリテラシは高度化しているにもかかわらず、その仕組みを提案せずに個々人に責任を転嫁するやり方は本当に腹立たしい。
テレビなんかは知ってる人は知っているだろうが、「視聴者の御意見を募って・・・」、なんてのは建前も良いところで、やってきたメールや手紙はアルバイトクラスがある基準で先ず選別してしまうので、強烈に耳に痛いことは先ずデータとして残らないようになっている。
今回のことで、ジャーナリズムの信用はがた落ちだって言う人もいるけどとうに地に落ちてやしないかと思っている自分にはイマサラな気がしているが、他のメディアからの糾弾もいずれ傷のなめあい状態になって収束して行くに違いない。
物を購入したりサービスを教授したりする時に、そのセールストークやその中身の表示にまで細かく気を配らなければいけない時代、すなわち視聴者や消費者は多大な負荷を負担して、物やサービスを売りつけられる時代になってしまった。専門性が高くなれば成るほど、ドンドン難しくなる。
常に他人を疑って掛かる時代。辛い時代になったものだ。
※推敲中の記事でアップしてしまったので再度アップロード。
宮崎の知事選でそのまんま東が選ばれたことで、いろいろ意見を言う人がいるが、ちょっと調べてみると3人連続で保守系の知事が汚職で辞任という流れがある。こんなんじゃ地元の人間に無所属のオブラートに包まれた保守候補に不信感があったのは、仕方がないところだろう。
参考:宮崎県-Wikipedia-
URL= http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E7%9C%8C
もっとも、県政を変えてくれるとかそう言うことではなく、「誰でも同じなら、思い知れ」と言う程度の浅はかな考えだとは思うし、おそらくコレで馬鹿=宮崎県民なんて図式も出来てるんじゃないかと思うし、あるいはイジメの要因にすら成るんじゃないだろうかと変な老婆心まで出たりするのも分かる。
それに、横山ノックを選んで、それ以外のこともあっただろうが商人の町だったはずの大阪は納税額でも名古屋に抜かれ、人口でもかなり前から神奈川に抜かれ、東京と張り合っていた構図すら危ういと言う大阪府の話、そんなことも宮崎の人は知らないんだろうなぁ(と言うか興味がない?)と思う。
しかし、選挙結果が出た直後の対立候補のコメントを見ても「知名度」「準備期間の無さ」などを敗戦の理由にしており、まともな反省がない。
全くの素人ならいざ知らず、政治家としてやっていこうという人がコレでは困る。選挙の時ぐらいしか県民に顔を覚えて貰えないそんな活動だから、指示されないのだ。知名度も地道に活動してその成果をチャンと報告できていれば、自然に付いてくる物だし、準備期間の短さは常に皆、同じじゃないか。いや、よしんばそのまんま東が彼らより先見の明で準備をしていたとしても、要は彼らがそれを怠っていただけのことだ。
そこを反省しないでどうするんだ。
個人的には宮崎県民には気の毒な任期期間になると思うが(歯車がかみ合わない内に任期が切れて無意味な期間に成ると思っている。人脈が物を言う情けない政治の手法が主流なのが問題だが現実そうなのだから仕方ない。経済としては任期分プラスαで5年ぐらい停滞又は後退も我慢するしかないだろう。下手すると変な傀儡県政になったりして(笑))
とりあえず履歴の中に知事でも入れとこうかとする隣県出身の元長官や地元出身だけど、村上ファンドの村上の友人である元経産省官僚とどっちが良かったのかと言われると、難しいよね。
やっと読みとった。間に色々入れてしまった所為もあるのだけれど、どうもこの手の話を私が好きではないものだから、読むのを休み休みにしてしまった。その方が遅れた言い訳には相応しいだろう。
そもそも読み始めた動機が「クライマーズ・ハイ」と言う現象と「日航ジャンボ機墜落事件」とが、どう結びつくのかを知りたかったというものだったのも、良くなかったかも知れない。
さてこの話、大筋で3つの話が主人公をコアに交錯している。この交錯がこの作品を嫌いにしてしまった大きな要因だと思う。3つの話というのは若手記者、望月亮太の事故死に関わる話、衝立岩に一緒に登る約束をしていた安西の不可解な死(あえてこう書いておく。実際は違うのだが)、「日航ジャンボ機墜落事件」にまつわる地方紙”北関”の内部でのイザコザである。
望月の話は本当に首題を突き詰めるのに必要だったか怪しいし、安西の話は結末を美しくするためには必要なのだが、他にはほんのちょっとミステリー要素を持たせるくらいの効果しかなく、逆に掘り下げが足りないように思う。もちろんドラマにチョイスされた理由でもある、3つ目の話が一番ボリュームがあるし、関わる登場人物も多く主軸なのである。これだけで書けなかったのは作者の照れなのか、見込み違いなのかは良く分からない。
パッと見は面白そうな仕掛けが多く、どこからか引っ掛かって、グイグイ読めそうな気がするのだが、なかなかそうならなかった。
主人公を突き動かすのは心的外圧がほとんどで、3つの話の中で、その応答=行動の統一感が無く、理解できかねることも多々あり、主人公に感情移入できなかった。いや、もっと他に見方があって、感情移入などする必要はなかったのかも知れないのだけれども。そう思えるような主人公の書きっぷりだった。
結局、主人公の自分の度量を越える「日航ジャンボ機墜落事件」に注力せざる得ない状況をいわゆる「クライマーズ・ハイ」になぞらえてあり、「クライマーズ・ハイ」が解けた時、ポロポロと壊れ行く自分の視界に、望月亮太や安西、それからその事件自身にまつわる「北関」の内部事件の問題へと入り込んでいくわけだが・・・どうも主人公に憐憫の情以外、湧いてこなかった。そう感じるエピソードが多すぎる所なんかも気に入らない。
この辺の分量は判断が難しいのだけれども、どうも入れすぎてしまった感じがするのだ。これでもかという感じで終盤まで主人公は追いつめられていくので、読んでいる方も疲れ果ててしまう。
で、ありながら、それらを帳消しにしてしまうような、ラストのまとめ、プチ大団円的収めに不満がある。ヒーロー物のようなあっけらかんとした物だったら別だ。それを否定するような作劇をして、あれだけ追いつめられたのに、話は仕舞いのフェーズにはいると、一変穏やかになってしまい、状況もストレス供給者の退場についても、そうでないものの台頭についても、どうも都合良すぎる事実がポンポンと出過ぎてしまう。伏線がないわけではないが、救われないことが多かったことに対して、突然にしかも多すぎるように思うのだ。コレはちょっとどうだろうと思った。また、それに、テレビドラマでは使われなかったセリフに、主人公がものすごく救われているかのような描写があるのだが、あの辺りもどうも釈然としない一因になっている。
先に美しいラストを思い描きすぎて、それに辻褄を合わせるための場を無理矢理に作ってしまって、破綻してるように感じたのだ。
だから、美しいキマった最後なのだけれども、そこに至っても主人公や安西の息子が心理的に救済されたのかが分からないし、仮にあったとしても、この話にはそれは結局馴染んでいないと思ったのだ。
どこまでが作者の体験した事実に沿って書かれているのか分からないが、非常に興味深い内容が書かれており、そこは悪くないとも思うのだが、詰め込みすぎた感は拭えない。ただ、マスコミに・・・特にジャーナリストについて考えている人には一読をお勧めする。
ドラマの方も見ておいた方が良さそうなんだがなぁ。三度目の放送はあるのかしら?
毎日新聞インタラクティブ
アブラヤシ:「環境にやさしい」は誤解生む、変更求める
URL= http://www.mainichi-msn.co.jp/science/env/news/20060409k0000m040109000c.html
「ライオンはCM戦略で保っているようなモノだ。」
というのは言い過ぎかもしれないが、イメージ戦略が先行しすぎて、誇張が多いのにも困る。
もう20年くらい前の話なのだが、細野晴臣を使って「溶けやすい」衣類洗剤(すでに「トップ」のブランドだったか・・・)の宣伝をしていたことがある。手元に粉サンプルが有れば実験してみればすぐに分かるのだが、(そう言う酔狂な人間はなかなか居ないだろうけど)確かに安い準大手以下の他社洗剤や海外製の(温水で使うことが前提の)衣類用洗剤とは確かに、溶けやすさが違うのだが、最強のライバルだった花王の「アタック」とはさほど差がなかった。少なくとも素人に分かるような差はないのだ。にもかかわらずこういうCMに打って出ていた。CMを素直に信じる人は結構多く、私みたいに試しても居ないのに、「そうだ」と思いこんでいた知り合いがいて驚いたことがある。このころかなりのシェア拡大がされたのではないかと思う。
その後も衣類洗剤ではないが、「植物物語」で植物由来だから体に良いという間違った認識を助長するCMを作り続けている。(まぁこれは"漢方"とか"生薬"とかの言葉を使いたがる薬品のCMにも言えるのだが)
ここ数年では「部屋干しトップ」も良い例だ。これは消臭機能を明確にうたった点で画期的だった。花王が「アタック漂白剤in」を出してきたことからもかなりシェアに脅威を与えたのではないかと思う。ただ、これは先進性はあったので、必ずしも誇張だとは思わない。香りが付けられていた他社製品でも同じような効果があったものの機能自体が違うので、自分としては納得出来た。イメージ戦略が上手い例としては十分だろう。
さて、元記事の新「トップ」だが、私は主洗浄成分(と言うことは全てではないと言うこと)に「パーム油を使う」事に関して何故新しさをうたうのか分からなかった。ライバル花王の「アタック」も油脂の主原料はもう何年も前からパーム油のはず。石油よりも扱いやすい所為かたいていの洗剤会社がパーム油を全量でなくてもかなりの割合で使っている。そんなことはライオンが知らないわけがないのだ。
それにパーム油比率が高い洗剤と言えば、準大手やそうでもないところには以前から多く、最近ではヤシノミ洗剤のサラヤの「植物性POW」などが注目を浴びている。すでにやってることをちゃんと消費者に伝えていくといった点でCMは重要なのだが、ライオンのCMはミスリードが過ぎると思うことが多いのだ。
逆に言えば、どの会社も元記事のように「環境破壊者」でも有りうると言うこと、大手は環境報告書も出しているので、その辺も参考にされたい。
ライオン
URL= http://www.lion.co.jp/index2.htm
花王
URL= http://www.kao.co.jp/
サラヤ
URL= http://www.saraya.com/
サラヤの「植物性パウPOW」のページ
URL= http://www.saraya-pow.jp/index.html
ちなみに洗剤は必ずしも"純石けん"が良い物ではない。泡による河川汚染は別にして、どの種類の洗剤にもアレルギーは存在するので、盲目的に使うと痛い目に遭う。筆者はアトピーではないが体を洗う洗剤には苦労していて、よかれと思った"純石けん"でかぶれるという痛い目にあったことがあるのでそれ以来怖くて使えない。ただ、個人的にだがシャボン玉石けんなんかには頑張って欲しいのだけどね。
シャボン玉石けん
URL= http://www.shabon.com/
こだわるって言う感じは非常に伝わってくるし、会社の経営方針にも何となくだが打たれるものがあるので。
しかし、本当に難しい時代になった。専門性が高まる中、作り手側の発信だけでは分からない事が増えた(だからCMはもっと慎重に作られるべきだと思う)。かといって受け手が各方面のスペシャリストになるのも難しい(もう少し考えるようになって欲しいとは思うが)。仲介に立つ消費者団体なども上手く機能しているとは言えない(何時になったらオープンな情報を出せるのか)。
消費者と供給者の良い解がないものだろうか?
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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早野 龍五・糸井 重里/著: 知ろうとすること。 (新潮文庫)
淡々と行われた早野さんの行動を糸井重里との会談で表していく。その過程が胸を打つ。強い意志で本当に素晴らしい仕事をされた。その過程を知るのに最適な書だ。残念ながら何かの秘密が解き明かされるわけでは無いのでそういう方はもう少し別な本を探された方が良い。 (★★★★★)
山岸 きくみ/著: 誰にもあげない (幻冬舎文庫)
三池崇史監督作「喰女~クイメ~」の脚本家によるノベライズ。映画よりもミステリー小説的な書き方になっていて、楽しむ視点が変化している。情報補完をかねて映画を見てからの方が楽しめるのでは? (★★★)
原田 実/著: 江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書)
と学会の歴史担当?原田実の「江戸しぐさ」検証本。偽科学ではないが、教育の場にまで忍び込び、恣意的で危険な思想なりかねないオカルティックな偽史の発生と発展をひもといて、まさしく正体を突き止めようとしている。問題はこのことが現在進行形で時の政府と結びついてしまったこと。情報を共有し目を光らせなくてはいけない。 (★★★★★)
松田 卓也/著: 間違いだらけの物理学 (学研科学選書)
疑似科学批判者として著名な松田氏の最新作。ただし、今回は物理側も間違うことがあるという例を自分の体験を踏まえて紹介していて、しかもその中身が今も間違ったまま流布されている物があるところが味噌。
批判眼と科学者としての矜持が垣間見え面白い。
個人的には揚力の話が一番面白かった。 (★★★★★)
ヤマザキマリ: プリニウス (1) (バンチコミックス45プレミアム)
こういう話は好きで、語られる蘊蓄が今の視点では浅はかに見えても、その当時どうだったのかはまた別の話。こういう貪欲な知への欲求があったればこそ、現在に至るわけで、そしてそれはこれからも変わらず進み行く物だと思う。 (★★★★)
ハシモト: ニーチェ先生~コンビニに、さとり世代の新人が舞い降りた~ 1 (コミックジーン)
「となりの関くん」見たいな、他人観察型の視点の漫画。この手の話だと長く続けられないよなぁと思いながら読んでるとネットで見たようなネタが。どっちかがオリジナルんだろうけど、1巻は珍しく紙の方で買った。 (★★★)
桜井画門: 亜人(4)
(★★★★)
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